在南アフリカ日本人

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在南アフリカ日本人
日本の旗南アフリカ共和国の旗
総人口

1,308人(2009年10月)[1] [2]

居住地域
言語
日本語英語アフリカーンス語
宗教
仏教神道

在南アフリカ日本人(ざいみなみアフリカにほんじん)では、南アフリカ共和国で生活する日本人について記述する。

歴史[編集]

南アフリカを最初に訪れた日本人は、江戸幕府ロシアに派遣した山内作左衛門ら6人の留学生たちである。6人は箱館から香港シンガポールバタヴィアを経て慶応2年(1866年)1月にケープタウンに到着し、5日間滞在した。

その後も日本からの大規模な移民は行われなかったが、1898年明治31年)に茨城県出身の古谷駒平が夫婦でケープタウンに移住し、ケープタウンの繁華街に日本製の雑貨や美術品を扱うミカド商会をオープンさせた。ミカド商会の経営は順調で、日本製品の販売だけでなく南アフリカ産の羊毛などを日本に輸出する事業も手がけるようになっていった。しかし強い望郷の念に駆られた古谷は、1915年大正4年)に店の経営を従業員に任せて帰国し、帰国後にケープタウンの現地法人としてザ・ミカド・サウスアフリカ・リミテッド社を立ち上げた。ザ・ミカド・サウスアフリカ・リミテッド社はその後も日本人従業員によって経営されていたが、太平洋戦争開戦後の1942年昭和17年)に日本人従業員は全員戦時交換船で帰国し、残されたザ・ミカド・サウスアフリカ・リミテッド社の資産は敵性資産として現地政府に接収された[3]

第二次大戦後、アパルトヘイト体制下において、日本が南アフリカにとっての最大の貿易相手国となった頃から、日本人の南アフリカへの移住が再び始まった。

当時の首相だったヘンドリック・フルウールトは、日本の貿易代表団が定期的に訪問するようになって以来、日本人を他の有色人種と同じ扱いをすることは、外交上不利だと判断したころから、1961年1月19日より、両国間で締結された貿易協定に基づいて、南アフリカに住む日本国籍の所持者を「名誉白人」と扱うことを決め[4]、日本人には参政権兵役を除いて、ほぼ全ての面において白人と同じ権利並びに特権が与えられることとなった。

アパルトヘイトの撤廃に伴い、日本人の移住は減少することとなった。

教育[編集]

在住日本人に対する教育機関としては、「ヨハネスブルグ日本人学校」と「ケープタウン日本語会」がある。

メディア[編集]

日本語による南アフリカ情報のメディアとして、「ケープタウン新聞」がある。

脚注[編集]

  1. ^ 外務省: 南アフリカ共和国 二国間関係
  2. ^ MOFA: Japan-South Africa Relations(外務省HP英語版)では2006年の1,238人。
  3. ^ 熊田 p31
  4. ^ Time, South Africa: Honorary Whites, January 19, 1962

参考文献[編集]