土方雄武

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土方 雄武(ひじかた かつたけ、1905年(明治38年)8月1日 - 1973年(昭和48年)6月29日[1])は、菰野藩主末裔で元華族(子爵)である。従4位[2]

経歴[編集]

明治38年(1905年)8月、後に日本銀行総裁を務めた土方久徴の次男として誕生した。初名は武彦。父の兄である子爵土方雄志の養子となる。大正15年(1926年)1月15日、養父雄志の隠居により、家督を相続する[1]陸軍士官学校卒業。関東軍司令部勤務の陸軍中尉となり、ケンブリッジ大学に留学した。昭和11年(1936年)に帰国し、同年12月21日、宮内省式部官兼主猟官に就任したが[3]、翌昭和13年(1938年)10月に辞職した。戦時下には台湾総督府の施政官となった。昭和19年(1944年)、近藤繁司の長女清子と結婚した。岳父の近藤は大分県国東からウラジオストクに渡って回漕業などで成功し、1932年にハルピンに移って近藤林業公司を営み「満洲の林業王」と呼ばれた実業家で、ウラジオストック生まれの清子は従兄(父親の姉の子)と結婚したが1938年に死別したため雄武と再婚した[4][5][6][7]

陸軍中尉として終戦を迎える[8]。昭和48年(1973年)6月29日、死去。一女あり。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻、404頁。
  2. ^ 土方雄武『人事興信録. 第12版 下』
  3. ^ 『官報』第2993号、昭和11年12月22日。
  4. ^ 『北支会社年鑑: 昭和十七年版. 第3回』、大連商工会議所, 1942、p49
  5. ^ 日露国際林業関係史論 戦前期の実証 日本林業調査会
  6. ^ 洲国における各国企業の共存関係―ロシア企業の生き残り戦略を中心に 藤原克美、大阪大学、2012
  7. ^ 近藤一族 相川和子、ロシア語通訳協会
  8. ^ 『終戦時帝国陸軍全現役將校職務名鑑 - 第1巻』戦誌刊行会, 1985、p1715

参考文献[編集]

日本の爵位
先代
土方雄志
子爵
菰野)土方家第2代
1926年 - 1947年
次代
華族制度廃止