土持盈信

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土持盈信
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正16年(1588年
死没 寛文8年(1668年
改名 親綱→親経→盈信
別名 通称:次郎九郎、左馬権頭
主君 島津義弘忠恒
薩摩藩
氏族 縣土持氏
父母 父:土持久綱
兄弟 信村久助盈信
久種
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土持 盈信(つちもち みつのぶ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士島津氏の家臣。

略歴[編集]

天正16年(1588年)、土持久綱の三男として誕生。

幼少より島津義弘に奉公し、慶長6年(1601年)、島津家久より末吉[1]の内、500石を拝領。父・久綱の代で拝領した大隅国栗野[2]の知行地500石と合わせ千石となり、江戸期に大隅大崎に移るとその地頭職となり、その後は高江[3]曽於郡・山崎[4]などの地頭職を務めた。

なお、盈信の系譜は以後(久種 - 真綱 - 家綱)と鹿児島藩士として存続した。

脚注[編集]

  1. ^ 現・曽於市末吉町
  2. ^ 現・湧水町
  3. ^ 現・川内市
  4. ^ 現・さつま町