土崎港

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秋田ポートタワー・セリオンより土崎港を望む
土崎港曳山まつり(「みなと祭り」)

土崎港(つちざきみなと、あるいは単に「土崎」)は秋田県秋田市内の一地区であり、市内では比較的人口が多い地区である。秋田市の中心部から北西約7kmに位置し、重要港湾秋田港を擁する。中心にはJR奥羽本線のJR土崎駅(JR秋田駅から北へ1駅)と土崎神明社があり、西部には秋田ポートタワー・セリオン、中心から南東すぐにはJR東日本秋田総合車両センター(旧名:土崎工場)がある。東には、陸上自衛隊秋田駐屯地が隣接する。

毎年7月に、土崎神明社の例祭であり国の重要無形民俗文化財に指定されている勇壮な祭り「土崎港曳山まつり」(「みなと祭り」)が行われる。

以降、本稿では土崎と表記する。

目次

[編集] 歴史

土崎は雄物川の河口(現在は秋田運河)に位置する港町である。もともとは、平安時代蝦夷討伐軍が拠点として築いた秋田城への物資の補給などに利用された港であった。これが元で昔から海運で栄え、室町時代には海の豪族とも言われる安東氏湊城を築き、江戸時代佐竹氏久保田藩の藩港であり、北前船の寄港地でもあった。土崎地区の住所は「秋田市土崎港」であるが、これは明治時代の町制施行時に土崎港町として登録していたことに由来している。現在の秋田港は、当時の土崎港の上に建設された。

明治以後、秋田市とその周辺では油田開発が進んだ。昭和時代前半には特に八橋油田の産油量が多く、秋田だけで国内産油量の70%以上を誇っていた。そのため、八橋に近く、さらに鉄道でも船舶でも輸送が可能な土崎には、大規模な製油所が立ち並んでいた。太平洋戦争末期の昭和20年(1945年8月14日には、この製油所の破壊を目的としたB-29100機以上の空襲を受け、土崎地区を含めて100名以上の死者を出した。これは太平洋戦争最後の空襲とされている7市に対する空襲の1つである。八橋油田は戦後も開発が続き、昭和30年代に全盛期を迎えた。現在では八橋油田の年間産油量は全盛期の1/10以下にまで落ち込んでいる。土崎にあった製油所は、秋田港に大型タンカーが接岸できないことや、消費地から遠いなどの理由により廃止された。

土崎港町は戦時中の昭和16年(1941年)4月1日に秋田市に編入され、戦後は宅地開発が進んだ。特に、国道5号(大正国道。現在は市道であり、旧国道と呼ばれている)のバイパスとして敷設された、土崎 - 山王を通る片側2車線の秋田天王線(通称:新国道)は、宅地の発展とともに秋田の大動脈道路となった。なお、現在は更に海側にバイパスが通り、そちらが国道7号になっている。

[編集] 年表

[編集] 行政機関

[編集] 秋田市の機関

[編集] 秋田県の機関

[編集] 国の機関

[編集] 交通

[編集] 鉄道

[編集] 道路

[編集] 一般国道

[編集] 主要地方道

[編集] 一般県道

  • 秋田県道112号久保秋田線
  • 秋田県道161号土崎停車場線
  • 秋田県道231号上新城土崎港線
  • 秋田県道233号土崎港秋田線
  • 秋田県道403号秋田男鹿自転車道線

[編集] バス

[編集] 港湾

[編集] 学校

[編集] 脚注