土井香苗

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どい かなえ
土井 香苗
生誕 1975年8月22日(39歳)
日本の旗 日本 神奈川県横浜市
出身校 東京大学
職業 弁護士

土井 香苗(どい かなえ、1975年8月22日 - )は、日本弁護士。現在、ヒューマン・ライツ・ウォッチ東京ディレクター。

 略歴[編集]

神奈川県横浜市生まれ。桜蔭中学校・高等学校から、東京大学法学部卒業。

  • 1996年、東大在学中に司法試験に合格。法曹として世に出る前に、広く社会のことを知りたくてピースボートでボランティアスタッフとして活動を始める。司法試験勉強中は活動を休んでいたが、合格後に活動を再開。
  • 1997年ピースボートの地球一周クルーズに参加。その途中で立ち寄ったアフリカで一番新しい独立国・エリトリアの実情を目の当たりにし、自らボランティアを志願。大学3年時に司法試験に合格[1]
  • 1998年ピースボートの代表の吉岡達也とともにエリトリアの法務大臣に面会し、大学4年時に単身エリトリアに渡り、同国で法律改正委員会調査員として刑法に関するリサーチ作業に従事。(現在のエリトリアでの刑法は改正され、イサイアス大統領の独裁政権のもとで強制労働などが横行している。)

帰国後司法修習(53期修習生)、もともとは検事志望だったが、検事職に「女性枠」があると知り、修習終了後に同期の司法修習生有志と共に女性枠撤廃運動を始める。その時の経緯は『司法修習生が見た裁判のウラ側』にまとめられている。

人物・活動[編集]

  • ヒューマン・ライツ・ウォッチの東京ディレクターとして活動している。
  • 児童養護施設における人権侵害など、日本国内の人権問題についても意欲的に取り組んでいる。
  • カウンターデモに関して、「困っているマイノリティの人々に大きな勇気を与えるもの」、「心の支えになったという人が大勢います。」と乙武洋匡と対談した際、語った[2]
  • 名門校の出身だが、本人曰く「親はすぐにカーッとなり、それを人に向けて爆発させてしまうところがある」為、両親が不和になった、と田原総一朗との対談で語った。また、数学が苦手だったという[3]
  • 自らの“人権”に目覚めた後、日本政府に対して、怒りの矛先が、向かっているという。日本の外務省に関して、「ムカつきますよね。何でワタシの国ってこんななんだろうって…」と語った[4]
  • 活動の原点は、日本政府の難民に対する「あまりにもひどい」という怒りだという。2002年4月当時、しんぶん赤旗の取材に対して、日本を「難民虐待国」と評した。また、日本国憲法第9条の「すばらしさ」について語り、日本が有事法制を整備することに反対している。コスタリカに関しては、「軍隊を持たないかわりに、民衆に積極的な平和を求める強い力」等と述べた[5]

著書[編集]

共著[編集]

  • 司法の現実に驚いた53期修習生の会『司法修習生が見た裁判のウラ側―修習生もびっくり!司法の現場から』(2001年12月、現代文化社)ISBN 978-4877980689
  • ヒューマンライツナウ『人権で世界を変える30の方法』(2009年6月、合同出版ISBN 978-4772604376
  • メッセージプロジェクト/編『100番目のメッセージ』(2011年2月3日、かんき出版ISBN 978-4761267292

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 上から5番までは本物です 首席で卒業した男の頭脳「東大までの人」と「東大からの人」第2弾 vol.1”. 現代ビジネス (2010年3月15日). 2014年10月11日閲覧。
  2. ^ 土井香苗「人権侵害の敵は無関心”. R25 (2014年5月30日). 2014年10月11日閲覧。
  3. ^ 才媛が選んだ「人権の監視人」【1】 -対談:ヒューマン・ライツ・ウォッチ 東京事務所代表 土井香苗×田原総一朗”. PRESIDENT (2013年11月18日). 2014年10月11日閲覧。
  4. ^ 【土井香苗】エリート弁護士より人権保護 人への愛、熱く厚く”. 夕刊フジ (2010年1月12日). 2014年10月11日閲覧。
  5. ^ 有事立法わたしは反対 弁護士 土井 香苗さん わかりやすさと「する」運動”. しんぶん赤旗 (2002年4月11日). 2014年10月11日閲覧。

外部リンク[編集]