嘉穂劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
嘉穂劇場
Kaho gekijou.JPG
情報
完成 1931年
開館 1931年
収容人員 約1,200人
客席数 1階席 450 - 800名
2階席 300 - 400名
用途 演劇
運営 NPO法人嘉穂劇場
所在地 820-0041
福岡県飯塚市飯塚5番23号
公式サイト 嘉穂劇場

嘉穂劇場(かほげきじょう)は、福岡県飯塚市にある劇場およびこれを運営する特定非営利活動法人である。建物は国の登録有形文化財

歴史[編集]

1931年昭和6年)、当時の嘉穂郡飯塚町で伊藤隆により設置される。前身は1921年大正10年)に大阪・中座を模して建てられた木造3階建ての「株式会社中座」であり、1928年(昭和3年)に焼失し、翌年に再建されるも1930年(昭和5年)の台風で倒壊した。翌年、嘉穂劇場として再々建される。

観客は当時筑豊地域の中心産業であった石炭炭鉱の労働者とその家族が中心で、大衆演劇や歌手の公演などで賑わった。しかし石炭産業の衰退もあって、1962年(昭和37年)には延べ266日であった公演数は、1970年代には10~15日に落ち込む。こうした事態を打開すべく、隆の死後経営を引き継いだ娘・英子の奮闘もあり[1]1979年(昭和54年)から毎年9月に九州演劇協会による「全国座長大会」が開催されるようになったことや、レトロな雰囲気が人気となり、近年では、年間30 - 40日の公演が行われていた。

2000年平成12年)7月30日には椎名林檎の一夜限りのライブイベント「座禅エクスタシー」の会場に使われた。

2003年(平成15年)7月19日の大雨により、劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、客席や舞台、花道等が浮き上がり、1階内部が使用不能になる被害を受ける。九州演劇協会会長・玄海竜二より連絡を受けた津川雅彦らが芸能人仲間に呼びかけ、中村玉緒明石家さんま、中村勘九郎(後に18代中村勘三郎)などといった名立たる俳優や芸能人が駆け付けた復旧チャリティイベントが行われ、イベントに先立ち飯塚市中心商店街で「お練り」も行われた。このイベントでは、田村正和木村拓哉らの私物がチャリティオークションにかけられ、東京でも滅多に無い豪華なイベントとして話題となった。

上記水害の後、約1年かけて復旧工事が行われ、翌年9月に復興し、11月には、浸水被害直後の2003年(平成15年)9月に公演予定だった九州の人気劇団ギンギラ太陽'Sの公演も行われた。開場より伊藤家の家族経営により営業を続けてきた唯一の民営の芝居小屋であったが、復旧に際して公的資金の支援を受ける必要があったことから、特定非営利活動法人(NPO)化され、英子が初代理事長となった。しかしこの時点で英子は既に高齢となっていたため、後に養子として入った伊藤英昭夫妻に劇場運営全般は移し、自らは来場する役者らの話し相手を務め、2010年(平成22年)8月22日、老衰で91年の生涯を閉じた。2006年(平成18年)に、国の登録有形文化財に登録される。

劇場の様式と規模[編集]

  • 様式:江戸歌舞伎小屋様式 木造2階建
  • 舞台:間口 10(18.2m)、奥行き 9間(16.4m)、プロセニアム高さ 2.5間(4.5m)、簀の子までの高さ 5間(9.1m)
  • 客席:1階 450 - 800人、2階 300 - 400人(状況によって変化可能)
  • 舞台設備:
廻り舞台(直径 15.8m、手動回転式)
セリ(廻り舞台前方と花道)

特定非営利活動法人嘉穂劇場[編集]

特定非営利活動法人嘉穂劇場は福岡県飯塚市に主たる事務所を置く特定非営利活動法人。2004年1月9日設立。

理事長[編集]

  • 伊藤英子(初代)
  • 伊藤英昭(2代目)

類似劇場[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯33度38分11.36秒 東経130度41分13.77秒 / 北緯33.6364889度 東経130.6871583度 / 33.6364889; 130.6871583

  1. ^ その一つに新劇から芸能の原点を目指した小沢昭一主宰の劇団芸能座の旅公演「清水次郎長伝・伝」の公演があり、劇団員と劇場主・英子との記念写真も残っている。出典:小沢昭一『昭和の肖像<芸>』p.148-154