善女竜王

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善女龍王像 長谷川等伯・画 安土桃山時代 七尾美術館

善女龍王ぜんにょりゅうおう)は雨乞いの対象である龍王のうちの一尊。「善如龍王」とも表記される。法華経・提婆達多品に現れる八大竜王の一尊、沙掲羅龍王(しゃかつらりゅうおう)の三女で神泉苑金剛峯寺などで鎮守社に祀られている。醍醐寺に鎮守として祀られる「清瀧権現」と同一視される他、同じ沙掲羅龍王の第三王女とされる方位神「歳徳神」とも関係が深い。神泉苑では善女龍王社のすぐそばの恵方社に歳徳神が祀られている。

「善女」とあるが、像容は男神像で表現されることもあり女神であるとは限らない。高野山には平安末期の絵師、定智による中国官服を着た男神として描かれた善女龍王像(国宝)があり、室生寺や醍醐寺にも写本がある。一方で、安土桃山時代の画家、長谷川等伯による「善女龍王像」は女童風に表されている。

824年(天長元年)、時の帝、淳和天皇は長引く干ばつに対して興福寺西寺とも)の守敏東寺空海に対して祈雨の修法を命じた。守敏が1週間にわたって修法を行うも効果少なく、次に空海が当時大内裏に南接していた神泉苑にて修法を行うが1滴の降雨もない。調べると空海の名声を妬む守敏により国中の龍神が瓶に閉じ込められていた。しかしただ1体、善女龍王だけは守敏の手から逃れていたので天竺の無熱池(むねっち)から呼び寄せて国中に大雨を降らせたという。

この時空海の前に現れた善女龍王は「高野大師行状図画」に九(270cm)の大蛇の頭の上に乗る八寸(24cm)の小さな金色蛇として描かれている。

さらに時代は下り、江戸時代に干ばつが起こり民衆が苦しんでいたところ、1771年明和8年)に瑞相院の僧、慈光により高野山にある「蓮池」の中州に善女龍王像と仏舎利を祀ったところ、たちまち霊験が現れたという。この祠堂は今でも善女龍王社として高野山金剛峯寺の蓮池にある。

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