唐家セン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 本来の表記は「唐家璇」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
| 唐家璇 | |
|---|---|
![]() |
|
| プロフィール | |
| 出生: | 1938年1月17日 |
| 出身地: | |
| 職業: | 政治家・外交官 |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 唐家璇 |
| 簡体字: | 唐家璇 |
| ピン音: | Táng Jiāxuán |
| 和名表記: | とう かせん |
| 発音転記: | タン チアシュアン |
[編集] 略歴
1998年銭其琛に代わって外交部長(外相)に就任し、2003年国務委員に昇格。李肇星が後任の外交部長に就任した。北朝鮮の経済制裁決議の際、特使として活動。現在国務委員。
1955年から1958年まで上海復旦大学外文系英語学科で学び、1958年には北京大学東洋語系日本語学科に移り、1962年に卒業した。
1962年から1964年まで放送事業局対外部日本語係で働き、1964年から1969年まで外交部翻訳隊で翻訳に携わった。文化大革命により1969年から1970年にかけて外交部五七幹部学校に下放されている。
1999年の台湾大地震の際に、「我が国の一部である台湾省」と発言し、台湾側の反発を引き起こした。また、2001年には靖国神社問題への対応に関する田中真紀子外務大臣との会談について、「(靖国参拝を)やめなさいとゲンメイしました」と語り、一部から傲慢との批判を受けた。「ゲンメイ」に当てる字が「言明」か「厳命」なのかについては、判断が分かれるところである。
2005年に中国を訪問中の衆議院議員・野田毅元自治相(日中友好協会会長)は北京での唐との会談で「日中関係の改善は小泉首相に期待しない」と唐が明らかにしたことを指摘し、安倍晋三官房長官は同発言につて「指導者としては不適切な発言」と抗議した。
2008年2月20日来日。朱鎔基総理に同行し訪日した2000年10月以来、約7年4か月ぶりの訪日となる。 2008年3月17日の全国人民代表大会で引退。
1970年代初めまでの外交部翻訳隊および対外友好協会勤務中には訪中した日本人の通訳を務め、司馬遼太郎や有吉佐和子などと面識があったため、『街道をゆく』や『有吉佐和子の中国レポート』などの著作にも登場している。
[編集] 職歴
- 1970年…対外友好協会副処長、日中友好協会理事
- 1978年…駐日大使館第二秘書、後に第一秘書。
- 1983年…中央国家機関外事整党工作指導小組弁公室副主任
- 1985年…外交部アジア局副局長
- 1988年…駐日大使館公使級参事官、後に公使
- 1991年…外交部部長補佐官
- 1993年…外交部副部長
- 1998年…外交部部長
- 2003年…国務院国務委員
- 2004年…中国国際関係学会会長
- 2009年…中日友好協会名誉顧問
- 2010年…第5期新中日友好21世紀委員会首席委員(座長)
[編集] 外部リンク
- 中国外交部公式サイトでの紹介(中国語)
- 新華網(新華社)での略歴紹介(中国語)
|
|---|
