員林鎮
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| 別称: 林仔街 | |
| 地理 | |
|---|---|
| 位置 | 北緯23°57"43' 東経120°32"52' |
| 面積: | 40.038 km² |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 員林鎮 |
| 日本語読み: | いんりん |
| 漢語拼音: | Yuánlín |
| 通用拼音: | - |
| 注音符号: | ㄩㄢˊㄌ一ㄣˊ |
| 片仮名転写: | ユェンリン |
| 行政 | |
| 行政区分: | 鎮 |
| 上位行政区画: | 彰化県 |
| 下位行政区画: | 41里806鄰 |
| 政府所在地: | - |
| 員林鎮長: | 張錦昆 |
| 公式サイト: | 員林鎮公所 |
| 情報 | |
| 総人口: | 125,824 人(2009年11月) |
| 戸数: | 36,235 戸(2009年11月) |
| 郵便番号: | 510 |
| 市外局番: | 04 |
| 員林鎮の木: | - |
| 員林鎮の花: | - |
| 員林鎮の鳥: | - |
目次 |
地理 [編集]
員林鎮は彰化平原の東部に位置し、南投県との県境にある八卦台地を除き平原により構成されている。平均海抜は25mである。機構は亜熱帯気候区に属し、年間平均気温は23℃である。
歴史 [編集]
員林地区の開発は清代の康熙中期に遡ることができる。1683年(康熙22年)、水師提督施琅,陸軍提督万正が台湾を攻撃、鄭氏政権を降伏させると、員林は福建省分巡台廈道臺湾府諸羅県に帰属した。康熙年間、、施世榜により厝圳が、黄仕郷で十五庄圳が整備されると、福建省漳州府平和県の曹阿慈、広東嘉應州鎮平県の詹志道、劉延魁、呉三霖、広東潮州府饒平県の黄可九、黄実賢、盧剛直、張應和、張文敞、張剛直、広東恵州府陸豊県の梁文開、梁文挙兄弟などがこの地の開拓に携わった。
1740年(乾隆5年)、燕霧保が設けられ垓台、秀水、佳錫、員林仔、鎮平、内湾、白沙坑の7庄を管轄するようになる。燕霧保の街区が員林仔街である。
下関条約により日本による統治が開始された台湾では行政区の改編が続き、1920年には台中州員林郡員林街と改編された。戦後は台中県員林区員林鎮となり、1950年に彰化縣員林鎮と改称され現在に至っている。
経済 [編集]
行政区 [編集]
歴代鎮長 [編集]
| 代 | 氏名 | 任期 |
|---|
教育 [編集]
技術学院 [編集]
高級中学 [編集]
高級職校 [編集]
国民中学 [編集]
- 彰化県立員林国民中学
- 彰化県立大同国民中学
- 彰化県立明倫国民中学
国民小学 [編集]
交通 [編集]
| 種別 | 路線名称 | その他 |
|---|---|---|
| 鉄道 | 縦貫線 | 員林駅 |
| 高速道路 | 中山高速道路 | 員林IC |
| 省道 | 台1線 | |
| 省道 | 台76線 | 東西向快速公路 漢宝草屯線 |
観光 [編集]
外部リンク [編集]
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