呪いの館 血を吸う眼

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血を吸うシリーズ > 呪いの館 血を吸う眼
呪いの館 血を吸う眼
LAKE OF DRACULA[1][2]
監督 山本迪夫[3]
脚本 小川英武末勝[3]
製作 田中文雄[3]
出演者
音楽 眞鍋理一郎[3]
撮影 西垣六郎[3]
製作会社 東宝[4][2]
配給 東宝[4][2]
公開 日本の旗 1971年6月16日[出典 1]
上映時間 82分[出典 2]
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形
次作 血を吸う薔薇
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呪いの館 血を吸う眼』(のろいのやかた ちをすうめ)は、1971年(昭和46年)6月16日に公開された東宝製作の日本特撮怪奇映画。キャッチコピーは「白い霧が森を流れる夜 地下室の棺の蓋が開く! 花嫁衣裳の死美人が立ち上る」。

“血を吸う”シリーズの第2弾[6]。82分、カラー、シネマスコープ作品[7][2]。英題は“LAKE OF DRACULA”。

同時上映は同じく山本迪夫が監督を務めた『雨は知っていた』[8][2]

あらすじ[編集]

中学教師の柏木秋子は、5歳の時に見た悪夢が現在でも気になっていた。ある日、悪夢に見た異様な眼を持つ男性が現れて秋子を襲い、妹の夏子も男性の術中にはまって手先となる。この事態を解決する手がかりは悪夢にあり、失われた記憶を恋人の佐伯の催眠療法によって辿った秋子は、悪夢に現れていた洋館を共に訪ねる。そこで、男性の正体が吸血鬼であり、秋子を花嫁に迎えるために彼女が成人になるまで待ち続けていたことが明らかとなる。

解説[編集]

自身が怪奇映画の大ファンであるというプロデューサーの田中文雄は、新しい東宝の映画路線として怪奇映画『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』を前年に制作・公開し、ヒットさせていた。これを受け、翌年の1971年に本作品が製作され、「血を吸うシリーズ」と呼ばれる怪奇ロマン映画が連作されることとなった。

シリーズ第1作の『血を吸う人形』は、田中によると、まだ手探りで製作していたような状態であったが、本作品ではいよいよ田中の念願である、ハマー・プロの人気シリーズだったクリストファー・リー主演の「ドラキュラ映画」の日本版を狙った作劇が行われた[1][9]。前作に引き続く不気味な洋館を舞台にしたゴシック・ホラー風味も、田中が狙った演出である。脚本タイトルは『幻の吸血鬼』だった[10]

田中は吸血鬼役に岡田眞澄を推したがスケジュールの都合がつかず、監督の山本迪夫が推薦した岸田森が起用された[11][9]。山本と岸田は、山本が演出を務めていたテレビドラマ『東京コンバット』(1968年)に岸田が犯人役で出演した際に出会っており、意気投合したという[9]

山本の回想によると、『血を吸う人形』と同年の『悪魔が呼んでいる』の監督当時に渋り気味だったことから、東宝の製作部長から怪奇映画をもう1本撮ることを許可された。岸田でなければ撮りたくないと主張してキャスティングは決まったが、吸血鬼役らしい長身痩躯に見せるため、ハイヒールを履いて撮影したという。山本は、他者の血を欲する吸血鬼を植物と捉え、岸田の顔色などがそのイメージに合っていた旨を後年に語っている[8]

岸田は山本の師匠にあたる岡本喜八作品の常連としても知られるが、そちらの初出演も1968年(山本はすでに岡本組のチーフを卒業している)なので、並行して師弟2人の監督と関係を深めていったことになる。

ロケは山中湖で行われた[1]

吸血鬼[編集]

劇中で岸田森が演じる「吸血鬼」は、小説や映画の「ドラキュラ伯爵」をモチーフにしている。

設定
  • 実年齢は43歳(吸血鬼の父の記述に基づく)。
  • 肌は色白く、爪は鋭く、眼は本性を現す時、金色に輝く(終始この眼がヒロインを苦しませる)。犬歯は鋭いが、野犬ほど大きくはない(佐伯談)。
  • 太陽光だけではなく、自動車のライトといった人工的な光にも怯む。
  • 吸血された者は顔色が悪くなり、特に女性は肌が白くなる。吸血による死後は生きる屍にして吸血鬼の奴隷と化すが、吸血鬼の死と同時に顔色は戻り、安らかな死を迎える。
  • 鏡には姿が映らない。
  • 佐伯によれば、1948年に英国で吸血鬼の処刑が実際に行われたとされ、同族は各国で確認されている模様。
出自と最期
異国人の祖父が日本の能登半島の小さな港町に洋館を建て、3代にわたり暮らしていた。祖父方の一族は吸血鬼の血を引く一族であったが、祖父も父も平凡な人間としての人生を歩んでいた。ところが、3代目は25歳(劇中の18年前)のある日、娘3人に牙を向けた(1人は冒頭でピアノの前で死んでいたが、死体は処分されたとみられる)。同時に洋館へ迷い込んで来た子供のころの秋子に将来の花嫁として目を付けるも父に秋子を逃され、18年にわたり監禁された。18年後に復活を遂げ、運送店のトラック運転手を利用して棺を強引に配達させ、秋子がいる富士見湖周辺へ移動する。
吸血されて肉体が腐り、わずかに息の残っていた吸血鬼の父が最後に息子に抵抗したことからも、吸血鬼の血族が同族に吸血されてもその奴隷とはならないことが分かる。
最期は、瀕死の父に足をすくわれてバランスを崩し、老朽化していた手すりが壊れて1階へ転落する。そこにあった手すりの木片が胴体を貫き、断末魔を叫びを上げつつ身体が急速に溶け崩れ、白骨死体と化す(本編ラストシーンより)。
  • 最期の朽ちていくシーンでは、眼を活かすために岸田自身に特殊メイクを施している[9]。全身がしぼむ描写には、空気人形が用いられた[9]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

参照[4][6]

映像ソフト[編集]

  • 東宝ビデオよりVHSテープ版が発売された[注 3]
  • 2005年4月28日に東宝ビデオよりDVDが発売された[12]。オーディオコメンタリーは田中文雄[12]。血を吸うシリーズ3作品を収録したDVDボックス『血を吸う箱』も同時発売された[12]
  • 2014年2月7日、期間限定プライス版として再発売された。
  • 2015年8月19日、東宝DVD名作セレクションとして再発売された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 以上は、VHS版封入資料の記載順[3]
  2. ^ 資料によっては、役名を吸血鬼と記述している[5]
  3. ^ VHS版ジャケットに発売年月日は明記されていないが、封入資料にある山本監督へのインタビューは平成6年(1994年)10月24日に行われたことが記載されている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d ゴジラ画報 1999, p. 162, 「呪いの館 血を吸う眼」
  2. ^ a b c d e f g 東宝特撮映画大全集 2012, p. 144, 「『呪いの館 血を吸う眼』」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o VHS版封入資料(1頁)による。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 映画資料室”. viewer.kintoneapp.com. 2022年2月23日閲覧。
  5. ^ a b c 動画王特別編集ゴジラ大図鑑 2000, p. 117, 「1970年代 呪いの館 血を吸う眼」
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 東宝特撮映画大全集 2012, p. 145, 「『呪いの館 血を吸う眼』作品解説/俳優名鑑」
  7. ^ VHS版ジャケットより。
  8. ^ a b VHS版封入資料にある山本監督インタビュー(2-4頁)。
  9. ^ a b c d e 東宝特撮映画大全集 2012, p. 147, 「『呪いの館 血を吸う眼』撮影秘話/川北監督に訊く」
  10. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 146, 「『呪いの館 血を吸う眼』怪獣図鑑/資料館/撮影秘話-特別編-」
  11. ^ 『宇宙船』118 2005, pp. 106–107, 「DVD-BOX発売記念インタビュー 血を吸う3部作プロデューサー 田中文雄」
  12. ^ a b c 『宇宙船』118 2005, p. 106

出典(リンク)[編集]

参考文献[編集]

  • DVD『呪いの館 血を吸う眼』の田中文雄によるコメンタリー。
  • 『ゴジラ画報 東宝幻想映画半世紀の歩み』(第3版)竹書房、1999年12月24日(原著1993年12月21日)。ISBN 4-8124-0581-5 
  • 『動画王特別編集 ゴジラ大図鑑 東宝特撮映画の世界』キネマ旬報社〈キネ旬ムック〉、2000年12月16日。ISBN 4-87376-558-7 
  • 『東宝特撮映画大全集』執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし、ヴィレッジブックス、2012年9月28日。ISBN 978-4-86491-013-2 
  • 雑誌

関連項目[編集]

外部リンク[編集]