呉泰錫

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呉泰錫
誕生 1940年10月11日[1]
韓国の旗 韓国忠清南道 舒川郡
職業 劇作家
言語 韓国語
国籍 韓国
教育 延世大哲学科
活動期間 1967年 -
ジャンル 喜劇
代表作 자전거(自転車)、필부의 꿈(匹夫の夢)、(胎)、춘풍의 처(春風の妻)
処女作 웨딩드레스(ウェディングドレス)
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呉泰錫
各種表記
ハングル 오태석
漢字 呉泰錫
発音: オ・テソク
英語表記: Oh Tae Seok
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呉泰錫(Oh Tae Seok、オ・テソク、1940年10月11日 - )は韓国劇作家演出家忠清南道舒川郡出身。[1][2]

略歴[編集]

1940年10月11日、忠清南道舒川郡に生まれる。1963年に延世大哲学科を卒業後、戯曲創作と演劇の演出を始めた。1967年、朝鮮日報新春文芸に『웨딩드레스(ウォディングドレス)』が、1968年に国立劇場長幕劇の公募に『환절기(換節期)』が当選し、劇作家としても公式デビューした。

呉の作品世界は、『초분(草墳)』を起点に、初期の西欧的劇作術と不条理劇の傾向から伝統的で土俗的な傾向に旋回する。同作品で韓国では初の海外公演となる米公演を開いた。

アメリカでの様々な観劇体験を元に、呉の演劇世界は大きな飛躍を迎え、『(胎)』、『춘풍의 처(春風の妻)』、『물보라(水煙)』など、伝統的色彩が強い作品を発表する。

1984年には劇団「木花」を創団し、『아프리카(アフリカ)』で創団公演を開いた。1993年に劇団名を「木花 Repertory Company」に改名した。『(胎)』、『춘풍의 처(春風の妻)』などの作品は日本でも上演され、好評を得た。

1970~1980年代を経て韓国の代表的な劇作家、そして演出家として浮上した呉の作品世界は、とても多様で絢爛な実験性をみせているが、一貫した傾向は伝統の再発見と、現代的受容を通じた韓国的演劇の創造だといえる。

年譜[編集]

代表作品[編集]

  • 1967年、웨딩드레스(ウォディングドレス) [3][4]
  • 1968年、환절기(換節期)
  • 1973年、초분(草墳)
  • 1974年、(胎)
  • 1976年、춘풍의 처(春風の妻)
  • 1978年、물보라(水煙)
  • 1982年、한만선(韓満線)
  • 1983年、자전거(自転車)
  • 1984年、아프리카(アフリカ)
  • 1986年、필부의 꿈(匹夫の夢)
  • 1987年、부자유친(父子有親)
  • 1988年、비닐하우스(ビニルハウス)
  • 1989年、운상각(雲上閣)
  • 1991年、심청이는 왜 두 번 인당수에 몸을 던졌는가(沈清はなぜ2回印塘水に身を投げたのか)
  • 1992年、백구야 껑충 나지 마라(白狗、ぴょんと飛ぶな)
  • 1993年、백마강 달밤에(白馬江真夜中に)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c [1] NAVER(韓国語) 2014年閲覧。
  2. ^ [2] 한국문학번역원 문인DB 오태석2014年閲覧。
  3. ^ [3] NAVER(韓国現代文学大辞典) 2014年閲覧。
  4. ^ [4] NAVER(国語国文学資料辞典) 2014年閲覧。