呂一一型潜水艦

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呂一一型潜水艦(海中1型)
呂号第一一潜水艦
艦級概観
艦種 二等潜水艦
艦名
前級 -
次級 呂一三型潜水艦(海中2型)
性能諸元
排水量 基準:720トン 常備:735トン
水中:1,000トン
全長 69.19m
全幅 6.35m
吃水 3.43m
機関 ズルツァー[1]2号ディーゼル2基
電動機、2軸
水上:2,600馬力
水中:1,200馬力
速力 水上:18.2kt
水中:9.1kt
航続距離 水上:10ktで4,000海里
水中:4ktで85海里
燃料 重油:60トン
乗員 46名
兵装 28口径8cm高角砲1門
45cm魚雷発射管 艦首4門、舷側2門
魚雷10本
備考 安全潜航深度:30m

呂一一型潜水艦(ろじゅういちがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍潜水艦の艦級。海中1型(かいちゅういちがた)とも。設計から建造まですべて日本海軍が行った初めての艦である。同型艦2隻。戦歴なし。

概要[編集]

ホランド型潜水艦輸入から始まった日本海軍の潜水艦は、各国の潜水艦の輸入と国内でのライセンス生産で技術の習得に努め、大正期に入りようやく独自設計できるまでになった。船殻はローブーフ型で使われた複殻型を採用し、他艦の運用実績を考慮して設計された。特に目新しい技術はなく、日本海軍で初めての潜水艦設計[2]で、後に続く海中型系列の第1番艦であること以外に特記すべき点はない。

主機はズルツァー製ディーゼルを搭載し、速力18ノットを出した。ただこの主機は信頼性が低かったらしく、艦隊演習にも支障が出た。同時期にL1型潜水艦に搭載されたヴィッカース式ディーゼルの信頼性が高かったのとは対照的である。

1916年(大正5年)度計画により2隻建造、両艦とも1919年(大正8年)に竣工。計画番号S7。老朽化により1932年(昭和7年)に除籍。戦歴等は特にない。

同型艦[編集]

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。
1924年(大正13年)11月1日に「呂号第~潜水艦」と改名。

1919年(大正8年)7月31日竣工()。1932年(昭和7年)4月1日除籍。
艦長
(心得)春日篤 大尉:1920年12月1日 - 1921年12月1日
(心得)中川順吉 大尉:1921年12月1日[3] -
(心得)宇垣完爾 大尉:1922年1月20日 - 1923年12月1日
(心得)原田覚 大尉:1923年12月1日 - 1925年12月1日
斎藤栄章 大尉:1924年11月1日 - 1924年12月1日
上条深志 大尉:1925年9月16日 - 12月1日
福田勇 大尉:1925年12月1日[4] -
1919年(大正8年)9月18日竣工(呉)。1932年(昭和7年)4月1日除籍。
艦長
大崎義雄 少佐:1920年12月1日[5] -
(心得)荻野仲一郎 大尉:不詳 - 1921年12月1日[3]
(心得)大橋龍男 大尉:1922年3月1日 - 12月1日
(心得)中邑元司 大尉:1922年12月1日 - 1924年5月31日
(心得)上条深志 大尉:1924年5月31日 - 1925年7月1日
関野明 少佐:不詳 - 1925年12月1日[4]
篠田清彦 大尉:1925年12月1日[4] - 1926年4月1日
(兼)関禎 少佐:1926年4月1日 - 12月1日

脚注[編集]

  1. ^ SULZER社。英語読みではスルザー。
  2. ^ ちなみに日本で最初の潜水艦設計は川崎造船所で建造された波号第六潜水艦。海外からの輸入潜水艦に性能で上回れず、後が続かなかった。
  3. ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
  4. ^ a b c 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  5. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。

参考文献[編集]

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。

関連項目[編集]