吾平山上陵
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吾平山上陵(あいらのやまのうえのみささぎ、あいらさんりょう)は、ウガヤフキアエズとタマヨリビメの陵墓。可愛山陵・高屋山上陵とともに神代三山陵を構成する[1]。
伝説地は日本の宮崎県と鹿児島県に数か所あるが、鹿児島県鹿屋市吾平町にあるものが最も著名である。
[編集] 概略
『延喜式』に、「日向国吾平山上陵彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊在二日向国一無二陵戸一」(一、二は返り点)とあり、『日本書紀』に、「崩二西州之宮一、因葬二日向」吾平山上陵一」(一、二は返り点)とある。平安時代にはすでに陵戸が無かったが、1874年(明治7年)7月10日に政府は肝属郡姶良郷上名(かんみょう)村に治定を見た[2]。しかし、宮崎県側からの反論が強く、1896年(明治29年)6月23日に鵜戸神宮近くの速日峯山上も伝説地と定めた(現在は参考地)。
鹿屋市吾平町の吾平山上陵は「小伊勢」ともいわれ、1935年(昭和10年)には昭和天皇が、1962年(昭和37年)には皇太子(今上天皇)・皇太子妃(皇后美智子)が参拝している。1936年(昭和11年)に建立された昭和天皇の参拝記念碑は、1938年(昭和13年)10月15日の水害(肝属川を参照)で流出したが、1990年(平成2年)に河川整備事業の最中に発見され再び建立された[3]。山陵内には「鵜戸六社権現」があった[4]が、1871年(明治4年)の災害により現在地(鹿屋市吾平総合支所⦅旧吾平町役場⦆の南隣)に遷座し、名称も鵜戸神社に改められている。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 錦江湾の「眺」 - 吾平山上陵 - 鹿児島県公式サイト
- みやざきの神話と伝承101 - 吾平山上陵(日南市) - 宮崎県公式サイト内