吉備津神社
| 吉備津神社 | |
|---|---|
境内 |
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| 所在地 | 岡山県岡山市北区吉備津931 |
| 位置 | 北緯34度40分14.4秒 東経133度51分02.2秒 |
| 主祭神 | 大吉備津彦命 |
| 社格等 | 式内社(名神大)・備中国一宮・旧官幣中社・別表神社 |
| 創建 | 不明 |
| 本殿の様式 | 吉備津造檜皮葺 |
| 例祭 | 5月第2日曜・10月19日 |
吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区にある神社である。式内社(名神大)、備中国一宮および吉備総鎮守で、旧社格は官幣中社。
延喜式神名帳には吉備津彦神社(きびつひこのじんじゃ、きびつひこじんじゃ)とあり、かつては吉備津彦神社とも称していた[1]が、現在は吉備津神社を正式名としている[2]。
目次 |
[編集] 概要
備中国と備前国の境にある吉備中山(きびのなかやま)[3]の北西の麓に北面して鎮座する。元々は吉備国の総鎮守であったが、吉備国が三国に分割されたときには備中国の一宮となり、備前国・備後国に分霊が勧請されて各国の一宮となっている[4]。なお備前国一宮の吉備津彦神社は同じ吉備中山の北東側麓にある。
[編集] 祭神
大吉備津彦命を主祭神とする。吉備津彦は第7代孝霊天皇の皇子で、別名を比古伊佐勢理比古命という。崇神天皇10年(紀元前88年)、四道将軍の一人として山陽道に派遣され、弟の若日子建吉備津彦命と協力して吉備を平定した。その子孫が吉備の国造となり、「吉備臣」を名乗ったという。
相殿に以下の八柱を祀る。
- 御友別命(みともわけのみこと)
- 仲彦命(なかつひこのみこと)
- 千々速比売命(ちちはやひめのみこと)
- 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
- 日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと)
- 倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと)
- 彦寤間命(ひこさめまのみこと)
- 若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)
[編集] 歴史
社伝によれば、吉備津彦は吉備中山の麓に茅葺宮を造って住み、281歳で亡くなって中山山頂に葬られた。吉備津彦の5代の子孫の加夜臣奈留美命が茅葺宮に社殿を造営して吉備津彦を祀ったのが当社の始まりと伝える。
『続日本後紀』承和14年(847年)10月22日条に従四位下の神階を受けたとあるのが国史での初見である。翌年には従四位上に進んでおり、仁寿2年(852年)には四品(しほん)、10世紀前半には一品(いっぽん)の品位(ほんい)も受けている。延喜式神名帳では名神大社に列している。このように、古代には朝廷からの篤い崇敬を受けた。中世には武家の崇敬を受け、たびたび社殿の修復や社領の寄進があった。明治初期の神仏分離令で三重塔を失うも、現在ある比翼入母屋造の社殿は足利義満が造営したもので、国宝になっている(本殿と拝殿の修繕は平成20年(2008年)9月末終了。10月4日正遷座祭執行)。鳴釜神事で有名である。当地出身の政治家犬養毅は、犬養家の遠祖・犬養健命は大吉備津彦命の随神であったとして吉備津神社への崇敬の念強く、神池の畔に犬養毅の銅像が建ち、吉備津神社の社号標も犬養毅の揮毫である。
[編集] 文化財
- 国宝
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- 本殿及び拝殿(1棟)
- 重要文化財
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- 南随身門
- 北随身門
- 御釜殿
- 木造獅子狛犬
[編集] 吉備津神社が登場する作品
[編集] アクセス
- JR西日本吉備線、吉備津駅より徒歩10分
- 中鉄バス、国道180号方面「吉備津神社」行乗車、吉備津神社終点で下車。
- 中鉄バス、国道180号方面「稲荷山」行、「大井行」乗車、吉備津神社参道口停留所より徒歩2分
- 備北バス、東総社経由「地頭」行乗車、吉備津神社参道口停留所より徒歩2分
- 岡山市街地より自転車、吉備路自転車道を1時間程度
[編集] 近隣情報
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 吉備津神社(公式サイト)
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