史上最大の作戦

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史上最大の作戦
The Longest Day
監督 ケン・アナキン(イギリス関連部分)
ベルンハルト・ヴィッキ(ドイツ関連部分)
アンドリュー・マートン(アメリカ関連部分)
脚本 コーネリアス・ライアン、ジェームズ・ジョーンズ、ロマン・ギャリー、デヴィッド・パーセル、ジャック・セドン
製作 ダリル・F・ザナック
出演者 ジョン・ウェイン、ロバート・ミッチャム、ヘンリー・フォンダ、エディ・アルバート、リチャード・バートン、クルト・ユルゲンス
音楽 モーリス・ジャール
撮影 ジャン・ブールゴワン
ワルター・ウォティッツ
編集 サミュエル・E・ビートリー
配給 20世紀フォックス
公開 アメリカ合衆国の旗 1962年10月4日
日本の旗 1962年12月8日
上映時間 178分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
ドイツ語
フランス語
製作費 $12,000,000
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史上最大の作戦』(The Longest Day)は、1962年アメリカ映画モノクロ

概要[編集]

コーネリアス・ライアンによるノンフィクション「The Longest Day」(邦題:「史上最大の作戦」)を元に映画化された。第二次世界大戦における連合国軍のノルマンディー上陸作戦(作戦名は「オーバーロード」)の詳細を描いた戦争映画である。

20世紀FOXの大プロデューサーダリル・F・ザナックが心血を注いで製作してアメリカからジョン・ウェインヘンリー・フォンダらが参加した他、英仏独からも豪華キャストを迎え、製作費1,200万ドル(当時のレートで43億円)の巨費[1]を投じた。なお当時20世紀FOXは「クレオパトラ」の製作で財政上の問題を抱えて会社が倒産寸前までいったが、この映画の世界的な大ヒットで再建したと言われている[2]。戦争映画としては「史上最大の」映画である。連合国側だけでなくドイツ側の視点でも描いているドキュメンタリー風の映画で、臨場感に溢れている事で評価が高い。地味で日本人にはなじみの無い原題『一番長い日』を、当時FOXの広報を務めていた水野晴郎が「史上最大の作戦」と意訳した。

音楽はモーリス・ジャールが担当して主題歌はこの映画に出演した歌手ポール・アンカ(Paul Anka)が撮影中に作詞・作曲[3]し、ミッチ・ミラーが行進曲風に編曲して自身の楽団・合唱団が演奏している。

アカデミー賞では5部門でノミネートされ、そのうち撮影賞、特殊効果賞を受賞した。

後年、本作のフィルムにコンピュータで着色した「カラー版」も製作されているが、軍服や徴章、勲章などの色に誤りがある。

ストーリー[編集]

第2次大戦末期の1944年6月、ヨーロッパにおいてナチスドイツはロシア東部戦線が膠着状態の中で、米英仏の連合軍がフランス北部に上陸するとの予測が強まり、大西洋岸に地雷などを埋めて上陸作戦に備えていた。北アフリカから戻ってきた独陸軍B軍団長ロンメル元帥はイギリスに面した海岸線で地雷の敷設が400万個と聞いて600万個に増やすよう檄を飛ばしていた。その時ロンメルは「あの水平線の向うに大軍がいる。今か今かと出撃を待っている。しかし一兵たりとも上陸はさせない。あの水際で撃滅させるのだ。上陸する最初の24時間が極めて重要で、その時は連合軍にとっても我々にとっても一番長い日となるだろう。」と語った。

独軍情報部のマイヤー大佐はイギリスのBBC放送が占領されたフランスに送っている各メッセージの分析を行いながら、ヴェルレーヌの詩≪秋の歌≫が放送されたことに注目していた。前半の一節「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」[4]が放送されて、次の後半の一節が放送された時は24時間以内に連合軍の上陸の始まると予測していた。そして独西部軍参謀総長ブルーメントリット大将(クルト・ユルゲンス)から西部軍最高司令官ルントシュテット元帥(パウル・ハルトマン)に警戒情報を出すように要請したが、元帥はラジオから流されるヴェルレーヌの詩だけでは警戒情報は出せないと却下した。ロンメルは6月に入ってから悪天候が続きで連合軍の上陸はないと判断してベルリン行きを決めた。その時に自宅の妻に贈る誕生日のプレゼントを持って行く。

6月5日、イギリスに結集した連合軍のキャンプでは今か今かと上陸作戦の決行を待っていた。米軍第82空挺師団バンダーボルト中佐(ジョン・ウェイン)はずっと待つだけで出撃したがっている部下に対して我々はもう5年間も待っているのだと諭し、後続部隊を含めて総計300万人が参加するオーバーロード作戦に思いを新たにしていた。ただ彼は上陸作戦でサン・メール・エグリーゼ市の郊外に降下する時にタイミングを誤ると沼地か市内中心部に降りる危険性を第82空挺師団副師団長ギャビン准将(ロバート・ライアン)に伝えていた。米陸軍第29師団コータ准将(ロバート・ミッチャム)は2回も延期されて3日間も缶詰状態で待たされて延期はもう無しにしてくれと嘆き、そこへ副官のニュートン大佐(エディ・アルバート)がアイゼンハワー連合軍最高司令官が今夜9時半に会議の招集をかけて決行か延期かの判断が出るとの情報を持ってきた。今夜の会議で決まると聞いて兵たちは賭け事をしたりして高ぶる気持ちを鎮めていた。第82空挺師団シュルツ一等兵(リチャード・ベイマー)はその賭け事で大儲けしたが、以前に大儲けした後に良くないことが起こることを思い出して、再度賭けに参加して負けるようにした。

外の雨を心配そうに窓から見ながら英空軍気象部スタッグ大佐は各気象情報から天候が回復すると判断して上層部に伝えた。独軍第84軍団長マルクス大将は軍内部の議論として上陸地点を英仏間が近いカレー付近と予想する向きが多いことに異論を述べて、一番距離が遠いノルマンディーの可能性が高い、そしてこういう荒天の時が一番いい、しかしアイゼンハワーは出来ないだろうと語った。だが連合軍最高会議でアイゼンンハワーは最終判断としてわずかな好天の機会を逃さず決行することを告げた。

BBC放送がヴェルレーヌの詩の後半の一節「身にしみて ひたぶるに うら悲し」[5]を流すとフランス国内のレジスタンスが動き始めた。独軍情報部のマイヤー大佐はこの詩の一節を聞いて至急将軍たちの場に連絡したが第15軍司令官サルムース将軍は警戒情報を出せと言うだけで誰も取り合わなかった。その夜の内に上陸を目指す各艦隊が出港したが、米軍駆逐艦艦長ビーア中佐(ロッド・スタイガー)はレーダーに映る膨大な艦艇の数に史上最大の艦隊だと呟いた。

6月6日午前0:11、ノルマンディー上陸作戦の最初は、英軍第6空挺師団ハワード少佐(リチャード・トッド)率いる部隊がオルヌ川にかかる橋を確保するためグライダーでの夜襲であった。橋を無傷で確保して、昼に海岸からやって来る本隊が合流するまで橋を死守する任務であった。一方レジスタンスのメンバーはフランス国内の通信網の破壊活動に入った。独第7軍参謀総長のペムゼル少将(ヴォルフガング・プライス)は、各将軍たちが机上演習で後方のレンヌに行っていることが気になって足止めをさせた。彼は連合軍の上陸がいつも早朝であることを気にしていた。

午前1:07、カーンに米軍第82空挺師団及び第101空挺師団がパラシュートで降下した。一部はレジスタンスと協力して走って来た軍用列車を爆破した。独軍マルクス大将のもとへ落下傘部隊の降下と同時に人形のパラシュートが降りてきたことが伝えられて陽動作戦ではないかと疑う。そこへ第15軍本部に落下傘部隊の一部が降りてきて捕まった。第15軍司令官サルムース将軍は戸惑うばかりであった。

午前2:03、サン・メール・エグリーゼは要衝の街で米軍空挺師団の目的地であった。計画は市内に降りるのでなく市外に降下するはずであったが飛行機が目測を誤り、市街の中心地でたまたま教会が火事で消火活動の最中に落下傘が降下してきて一瞬の間に教会の前は修羅場と化し多くの落下傘兵が死んだ。第82空挺師団スチール一等兵(レッド・バトンズ)は教会の屋根に吊るされて九死に一生を得た。空挺師団の落下傘兵はバラバラになり、みな戦地の真ん中で彷徨うこととなった。その中には第82空挺師団シュルツ一等兵もいて、バンダーボルト中佐は脚を骨折していた。独第7軍参謀総長ペムゼル少将はこの時点で連合軍の上陸はノルマンディーだと結論したが、西部軍参謀総長ブルーメントリット大将から伝えられたルントシュテット元帥は陽動作戦と見てカレーが上陸の目的地と見ていた。しかし念のためベルリンのヨードル上級大将に戦車部隊を動かすため機甲師団の派遣をブルーメントリットから連絡させたがヨードルは就寝中のヒトラー総統を起こせず断られた。ブルーメントリットは総統が寝ているために戦車が動かせないという事態に信じられない思いと同時に戦争の敗北を感じるのであった。

夜が明けてノルマンディーの沿岸にある砲台にいた独軍第352師団沿岸砲兵隊指揮官プルスカット少佐(ハンス・クリスチャン・ブレヒ)は、海の向こうに信じられないほどの数の艦隊が迫っていることを発見して本部のオッカー中佐 (ペーター・ファン・アイク)に伝えたが間もなく艦砲射撃が始まった。そしていよいよ本隊の上陸が始まった。

午前6:32、オマハ海岸にコータ准将以下の米軍第29師団が上陸開始。やがて激しい独軍の砲撃に海岸から一歩も踏み出せなかった。午前6:44、ユタ海岸に副師団長セオドア・ルーズベルト・ジュニア(ヘンリー・フォンダ )准将以下の米軍第4歩兵師団が上陸。しかしまもなく上陸予定地から2キロ南であったことが分かったがそのまま進軍した。午前6:49、ゴールドジュノ海岸に上陸した部隊は独空軍2機から空襲を受けた。この時、制空権を失っていた独空軍はわずか2機しか動けなかった。午前6:53、スオード海岸にロバット卿(ピーター・ローフォード)以下の英軍コマンド部隊が上陸。反撃も無く上陸して、一路オルヌ川で死守する部隊との合流を目指す。英海軍上陸主任モード少佐(ケネス・モア)が物資の搬送などを指揮し、その横をフラナガン一等兵 (ショーン・コネリー)が通る。午前7:11、オック岬に米軍レインジャー部隊が上陸。急な岬の崖をよじ登り、砲台に達したが、中に入ってみると砲座がなく何も無い所であった。

ベルリンの自宅に戻っていたロンメルは至急の電話でノルマンディー上陸を知って「私が油断した」と呟いた。最高司令部ではヒトラー総統が起きて事態を知り激怒して、ルントシュテットが望む機甲師団の派遣の話が出来ないとの連絡を受けてブルーメントリットは元帥から総統へ直接要請するように進言した。しかし元帥は「ボヘミアの伍長[6]に電話などは出来ん」と固辞した。

スオード海岸に上陸したロバット卿の英軍コマンド部隊はバグパイプの音色を響かせながらオルヌ川の橋に達して、英軍第6空挺師団ハワード少佐は任務が達成したことでホッと一息をついた。同じスオード海岸に上陸したフィリップ・キーファ中佐(クリスチャン・マルカン)以下仏軍コマンド部隊はウイストレアム市街に突入してカジノに閉じこもる独軍と激戦の上に戦車まで投入して攻略した。

独第7軍参謀総長ペムゼル少将は「空軍はどこにいるんだ」と嘆くが、しかし彼はオマハで一歩も進まぬ連合軍の動きを見ながら、中央部では依然独軍が支配しており、上陸地点で上陸部隊が釘づけの状態であるのを見て、ロンメルが言った通り、海岸線に上陸部隊を釘づけにする限り、食い止めて上陸作戦を失敗させられることを感じていた。一方オマハ海岸では死屍累々の様相を呈して、撤退を考える将官もいたがコータ准将は頑として受け付けず唯一の突破口での爆破を目指していた。連合軍司令部のロバート・ヘインズ少将(メル・ファーラー)とエドウィン・P・パーカー准将(レオ・ゲン)は独軍の機甲師団の動きがないことを訝り、オマハ海岸での膠着を心配していた。オマハが失敗すると上陸部隊が分断されてしまうからであった。米軍第82空挺師団バンダーボルト中佐はサン・メール・エグリーゼへの道を探しながら進みやっと街に入って行った。そこで落下傘兵のぶらさがった死体を見て愕然となり、「降ろせ」と命令するのであった。それでも上陸部隊が来るまで街を死守して、犠牲者を乗り越えて進まねばならぬことを訴えた。スチール一等兵は救助されて「戦場で見る大将は別人のようだ」と呟いた。

オマハ海岸では決死隊が編成されてフラー軍曹( ジェフリー・ハンター )を中心に、突破口となる丘の爆破作業を行った。フラー軍曹は途中で戦死したが、最後の爆破に成功してやっと活路が見出されて、上陸部隊は雪崩のように突撃していった。この最後の突破の時にコータ准将の副官ニュートン大佐が戦死した。独軍の第84軍団本部では退却のため書類など焼いていた。マルクス大将は地図のノルマンディーの文字を眺めながら上陸を食い止められなかったことを悔やんだ。降下してから迷子のように戦場を彷徨った第82空挺師団シュルツ一等兵は農家で英軍パイロット(リチャード・バートン)と出会い、戦争の可笑しさを感じながら日が暮れていくのを見るのであった。6月6日が終わろうとしていた。

激戦で多数の犠牲者を出したオマハ海岸では、コータ准将が緊張からやっと解放されて新しい葉巻きに火を付けて、ジープで海岸から丘へ登って行った。

キャスト[編集]

※実際のクレジットはアルファベット順である。尚、ジョン・ウェインは一番最後に表記されている。これはクレジット上では最後にあたる、Wの頭文字の俳優が彼を含めて5人いたので、一番目立つようにしたためである[7]

役名 俳優 日本語吹き替え
テレビ東京 日本テレビ NETテレビ
アメリカ
ベンジャミン・バンダーボルト英語版中佐
(アメリカ陸軍第82空挺師団第505空挺歩兵連隊第2大隊長)
ジョン・ウェイン 小林修 小林昭二 佐野浅夫
ノーマン・コータ英語版准将
(アメリカ陸軍第29歩兵師団副師団長)
ロバート・ミッチャム 谷口節 宮川洋一 浦野光
セオドア・ルーズベルト英語版准将
(アメリカ陸軍第4歩兵師団副師団長、
第26代大統領セオドア・ルーズベルトの子息)
ヘンリー・フォンダ 野沢那智 内田稔 小山田宗徳
ジェームズ・M・ギャビン准将
(アメリカ陸軍第82空挺師団副師団長)
ロバート・ライアン 佐古正人 北原義郎 納谷悟朗
ビーア中佐(アメリカ軍駆逐艦艦長) ロッド・スタイガー 加藤正之 小林修
フラー軍曹(アメリカ陸軍第29歩兵師団所属) ジェフリー・ハンター 青野武
レンジャー隊隊員(アメリカ陸軍第2特別遊撃大隊所属) ロバート・ワグナー 松岡文雄 中田浩二
レンジャー隊隊員 ポール・アンカ 斎藤正明
レンジャー隊隊員 フェビアン 宮下勝
レンジャー隊隊員 トミー・サンズ 塩沢兼人
レンジャー隊隊員 ジョージ・シーガル 田中秀幸
シーン中尉(アメリカ陸軍第82空挺師団) スチュアート・ホイットマン 兼本新吾 田中信夫
ハーディング大尉(アメリカ陸軍第82空挺師団) スティーブ・フォレスト 小林勝彦
ウィルソン中尉(アメリカ陸軍第82空挺師団) トム・トライオン 堀勝之祐
フランス大尉
(アメリカ陸軍第29歩兵師団コータ准将付副官)
レイ・ダントン 仲木隆司
アーサー「ダッチ」シュルツ一等兵
(アメリカ陸軍第82空挺師団)
リチャード・ベイマー 宮本充 東冨士郎  内海賢二
マティーニ一等兵(アメリカ陸軍第82空挺師団) サル・ミネオ 藤井敏夫 納谷六朗
ジョン・スチール英語版一等兵(アメリカ陸軍第82空挺師団) レッド・バトンズ あずさ欣平
レイモンド・バートン英語版少将
(アメリカ陸軍第4歩兵師団師団長)
エドモンド・オブライエン 島香裕 塩見竜介 塩見竜介
モリス一等兵 ロディ・マクドウォール 富川徹夫
トム・ニュートン大佐(アメリカ陸軍第29歩兵師団) エディ・アルバート 伊沢一郎
ジョー・ウィリアムズ ロン・ランデル 国坂伸
ウォルター・ベデル・スミス少将 アレクサンダー・ノックス 吉沢久喜
ロバート・ヘインズ少将 メル・ファーラー 佐古正人 仁内達之 山田康雄
ドワイト・D・アイゼンハワー大将 ヘンリー・グレイス 大木民夫 羽佐間道夫 島宇志夫
オマール・ブラッドレー中将 (アメリカ陸軍第1軍司令官) ニコラス・スチュアート
イギリス
ロバット卿英語版イギリス軍コマンド部隊長) ピーター・ローフォード 大塚芳忠 川合伸旺 羽佐間道夫
ジョン・ハワード英語版少佐(イギリス軍第6空挺師団指揮官) リチャード・トッド 山野史人 石田太郎 渡部猛
デビッド・キャンベル(イギリス空軍パイロット) リチャード・バートン 原康義 木村幌 田口計
コリン・モード英語版大佐(イギリス海軍上陸主任) ケネス・モア 宝亀克寿 雨森雅司 大宮悌二
フラナガン一等兵 ショーン・コネリー 宮本充 日高晤郎 内海賢二
エドウィン・P・パーカー准将 レオ・ゲン 嶋俊介
牧師 ジョン・グレッグソン 江角英明
J・N・スタッグ英語版大佐(イギリス空軍気象部) パトリック・バー 村越伊知郎
ドイツ
ギュンター・ブルーメントリット歩兵]大将
(ドイツ西部軍参謀総長 *正しい肩書きは参謀長)
クルト・ユルゲンス 瑳川哲朗 久松保夫
エルヴィン・ロンメル元帥(ドイツ陸軍B軍団長) ヴェルナー・ヒンツ 中村正 大木民夫
ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥
(ドイツ西部軍最高司令官)
パウル・ハルトマン 杉田俊也
オッカー中佐 ペーター・ファン・アイク 中田浩二
軍曹(通称“Kaffeekanne”=コーヒーポット) ゲルト・フレーベ
マックス=ヨーゼフ・ペムゼル少将
(ドイツ第7軍参謀総長 *正しい肩書きは参謀長)
ヴォルフガング・プライス 加藤精三
エーリヒ・マルクス英語版砲兵大将(ドイツ第84軍団長) リヒャルト・ミュンヒ 西村知道
ヴェルナー・プルスカット英語版少佐
(ドイツ第352師団沿岸砲兵隊指揮官)
ハンス・クリスチャン・ブレヒ 山野史人 大塚周夫
ウォルフガング・ヘイガー大将(ドイツ西部空軍司令官) カール・ヨーン
ヨーゼフ・"ピップス"・プリラー大佐
(ドイツ第26戦闘航空団司令)
ハインツ・ラインケ 渡部猛
フランス
ジャニーヌ・ボアタール(レジスタンス闘士) イリナ・デミック 田中敦子 高橋ひろ子
バロー夫人 アルレッティ
アルフォンス・レノー(コルヒル市長) ブールヴィル 宮内幸平
ルイ・ルーラン神父 ジャン・ルイ・バロー 加藤精三
アレクサンドル・ルノー(サント・メール市長) ジョルジュ・ウィルソン
ルイ フェルナン・ルドゥー 相模太郎
ギ・ド・モントーロール英語版軍曹(フランス海軍コマンド部隊所属) ジョルジュ・リビエール
フィリップ・キーファ英語版中佐(フランス海軍コマンド部隊長) クリスチャン・マルカン 堀勝之祐
ジョジャール海軍少将(自由フランス軍提督) ジャン・セルヴェ 佐古正人
尼僧 マドレーヌ・ルノー
  • NETテレビ版:初回放送1972年7月9日.16日 「日曜洋画劇場
  • 日本テレビ版:初回放送1978年5月10日.17日 「水曜ロードショー
    • この版ではドイツ軍側をすべて原語で字幕にしており、連合軍側は吹き替えにしている。最初の映画の題名が入る直前のロンメルの言葉「一番長い日(Der längste Tag)になる」もドイツ語である。
  • テレビ東京、DVD版:初回放送1997年12月29日
    • 演出:小林守夫 翻訳:宇津木道子 製作・配給:ムービーテレビジョン

主な受賞歴[編集]

アカデミー賞[編集]

受賞
アカデミー撮影賞 (白黒部門):ワルター・ウォティッツジャン・ブールゴワン
アカデミー特殊効果賞:ロバート・マクドナルドジャック・モーモン
ノミネート
アカデミー作品賞:ダリル・F・ザナック
アカデミー美術賞:テッド・ハワースレオン・バルザックヴィンセント・コルダガブリエル・バシャ
アカデミー編集賞:サミュエル・E・ビートリー

ゴールデングローブ賞[編集]

受賞
撮影賞:ヘンリー・パージン、ワルター・ウォティッツ、ジャン・ブールゴワン
ノミネート
作品賞 (ドラマ部門)

エピソード[編集]

  • 登場人物はそれぞれの母国語で台詞を喋り臨場感を高めていて日本ではこの国際版で上映されたが、他の国では自国語版で上映されており、同じシーンを使用言語を変えて何度か撮影している。DVD特別版に収録された予告編にはドイツ軍人が英語で喋るシーンが含まれている。
  • リヒャルト・ミュンヒが演じたドイツ第84軍団長エーリヒ・マルクス大将は、この映画の中で唯一人連合軍がノルマンディーに上陸すると予想した将校として描かれているが、大将が6月6日深夜に自分の誕生日として部下からケーキでお祝いを受けるシーンがある。日本語版で見る時に、ケーキにナイフを入れる場面でケーキに「Happy birthday」と印している場合がある。これは英語版のフィルムを日本語に直しているためで、国際版のフィルムでは「Zum Geburtstag」と印している。
  • 公開当時にアメリカ軍トップである統合参謀本部議長の要職を務めていたマクスウェル・テイラー将軍は、第101空挺師団長としてオーバーロード作戦で活躍し、原作「The Longest Day」のための取材にも多大な協力をしていたものの、この映画に彼の役は登場しない。
  • クルト・ユルゲンスが演じたドイツ西部軍参謀総長ブルーメントリット大将は、撮影当時は存命でクルト・ユルゲンスに助言を与えていた。このクルト・ユルゲンスは戦争中はナチスに反対して収容所に入れられた経験があるが、戦後映画界でドイツ軍将校の役を演じると右に出るものがないと言われるほど軍服姿が似合う俳優であった。
  • ドイツ陸軍B軍団長のロンメル元帥を演じたはヴェルナー・ヒンツである。ロンメル役はアメリカ映画で英国俳優ジェームズ・メイソンが「砂漠の鬼将軍」と「砂漠の鼠」で2回演じているが、ヒンツもロンメル元帥を主人公にした西独映画で元帥を演じていた。
  • バグパイプを吹きながらイギリス軍コマンド部隊を率いたロバット卿を演じたピーター・ローフォード が着ていたセーターは、上陸作戦で実際ロバット卿が着ていたものをロバット卿から提供を受けたものである。なお彼の妻であるパトリシア夫人も撮影中の彼のもとにいた。当時の米国大統領ジョン・F・ケネディの妹パトリシア・ケネディである。後に離婚している。
  • ショーン・コネリー はイギリス軍の兵隊としてコミカルな演技を見せている。この当時は無名で、この翌年に007シリーズのジェームス・ボンド役を得て一気に世界的スターになった。初公開時のパンフレットには『シーン・コネリー』と表記されていた。
  • 映画製作に入った時にプロデューサーのザナックが頭を悩ましたのが、このノルマンディー上陸作戦を決断した連合軍最高指揮官ドワイト・D・アイゼンハワー将軍を誰が演じるかであった。一時は大統領職をケネディにバトンタッチして悠々自適の生活を送るアイゼンハワー本人の出演も検討したが、本人の健康不安もあって断念し本人にソックリであったズブの素人のヘンリー・グレイスを抜擢した。グレイスが撮影所に現れた時に、技術指導で来ていた米国陸軍の将官が思わず直立不動で敬礼したというエピソードがある。またこの頃はアイゼンハワーはまだ元気で、2年後のノルマンディー上陸作戦から20年になる1964年6月に、CBSテレビが放送した上陸作戦の詳細を描いた回顧番組に出演していて、その番組の司会役はウオルター・クロンカイトであった。アイゼンハワーはそれから5年後の1969年に亡くなっている。

脚注[編集]

  1. ^ この時期の超大作映画としては「ベン・ハー」の1,500万ドル、「戦艦バウンティ」の2,750万ドル、「クレオパトラ」の4,000万ドルに比べると少ないのは全面的に米軍を始めNATO軍の協力を得たのと、ザナックの存在が大きく、スターのギャラを抑えられたことによる。
  2. ^ もともと20世紀FOXの前身の「20世紀映画」の創業者であり、20世紀FOXの役員でもあったザナックはこの映画のヒットで社長に返り咲いている。
  3. ^ ポール・アンカ自身が歌ったレコードも発売されている。
  4. ^ このヴェルレーヌの詩は上田敏が訳した「海潮音」の中にもあり、ここでの表記は上田敏訳で、映画「史上最大の作戦」の公開時の字幕は上田敏の訳を使っていたが、その後テレビでの日本語版やBSテレビで放映の字幕では上田敏の訳ではなく、例えば「秋のバイオリンの長いすすり泣き」という風に直接翻訳したものが使われている。
  5. ^ 或いは別の訳として「単調なもの憂さに 心が傷つく」
  6. ^ 第1次大戦の折りに参戦したヒトラーはその時伍長であった。職業軍人であるドイツ軍将校から見れば、指揮権が総統の下にあることに不満があり、そのことを揶揄するために使う言葉であった。なお他の戦争映画でもこの「ボヘミアの伍長」という台詞は使われている。
  7. ^ 田草川弘 『黒澤明vs.ハリウッド 『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて』 文藝春秋2006年、421頁。ISBN 4163677909 

外部リンク[編集]