古畑弘二

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古畑 弘二ふるはた こうじ[出典 1]1938年12月9日[1][注釈 1] - )は、日本の元俳優。元劇団四季劇団員[出典 2]1965年公開の映画『フランケンシュタイン対地底怪獣』に登場するフランケンシュタインを演じた[出典 3]。1963年時点での身長は177センチメートル[1]立教高校卒業[4]

人物[編集]

『フランケンシュタイン対地底怪獣』撮影現場での古畑弘二と円谷英二

立教大学中退後、俳優座の養成所9期生を経て1960年に劇団四季に入団[1][4]。在籍中には映画やテレビドラマに出演し、将来を期待される俳優であった。しかし病気で声が出なくなったことをきっかけに、1964年の暮れに四季を退団し芸能界から引退した。養成所時代から交際のあった俳優の金井克美との結婚が決まっており、サラリーマンとしてのキャリアを進もうとしていたところに東宝から『フランケンシュタイン対地底怪獣』への出演依頼があった。演技力とメイクがしやすそうな顔立ちを買われたのである。古畑は当初これを固辞したが、「この1作だけ」の条件を付けた上で出演を承諾した[7]。この作品の後に完全に芸能界から身を引いたため、その後の消息は不明である。

過去の資料では、映画出演は『フランケンシュタイン対地底怪獣』1作のみと記述しており[2]、同作品のためにスカウトされた素人と流布されていた[9][10]。監督の本多猪四郎は、石原慎太郎から「フランケンシュタインにそっくりなのがいる」として葉山にある青果店の息子を紹介されたと証言していた[11]

フランケンシュタインと対決する怪獣バラゴンを演じた中島春雄は、古畑が裸同然の格好で行った激しいアクションを高く評価している[12][13]。フランケンシュタインの頭部造型を担当した村瀬継蔵は、激しいアクションのイメージとは異なり普段はおとなしい人物であったと述べている[14]

出演作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 生年を1937年としている資料もある[4]
  2. ^ 古畑は『二十歳の恋』が映画初出演作品であると述べている[4]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 『タレント名鑑NO1改訂版』芸能春秋社、1963年、76頁。 
  2. ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, p. 533, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  3. ^ a b ゴジラ大百科 1993, p. 128, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  4. ^ a b c d 「対談 「二十歳の恋」に主演して」『映画ストーリー』4月号、雄鶏社、1963年、150 - 151頁。 
  5. ^ a b c d 「『フランケンシュタイン対地底怪獣』撮影秘話」『東宝特撮映画大全集』執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし、ヴィレッジブックス、2012年9月28日、97頁。ISBN 978-4-86491-013-2 
  6. ^ オール東宝怪獣大図鑑 2014, p. 106, 「『フランケンシュタイン対地底怪獣』」
  7. ^ a b c d 小林淳 2022, pp. 235–236, 第六章「奇想天外映画に華美な光彩を加える音揚 [1964、1965]」『フランケンシュタイン対地底怪獣』
  8. ^ a b c d オール東宝怪獣大図鑑 2014, p. 103, 「『フランケンシュタイン対地底怪獣』フランケンシュタイン」
  9. ^ a b 大ゴジラ図鑑2 1995, p. 73, 「フランケンシュタイン」
  10. ^ a b ゴジラ来襲 1998, p. 139, 「第3章 東宝トクサツ映画名場面・名台詞」
  11. ^ 「本多猪四郎監督 長編インタビュー(4)」『キングコング対ゴジラ/地球防衛軍』東宝出版事業室〈東宝SF特撮映画シリーズ VOL.5〉、1986年3月1日、166頁。ISBN 4-924609-16-1 
  12. ^ 中島春雄「第四章 「一九五八〜一九七〇 東宝特撮怪獣の世界」『フランケンシュタイン対地底怪獣』」『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』洋泉社、2010年7月31日、223-225頁。ISBN 978-4-86248-589-2 
  13. ^ オール東宝怪獣大図鑑 2014, p. 104, 「『フランケンシュタイン対地底怪獣』」
  14. ^ 村瀬継蔵 2015, pp. 264–265, 「村瀬継蔵インタビュー 村瀬継蔵 造形人生」

出典(リンク)[編集]

参考文献[編集]