原田力男
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原田 力男(はらだ いさお、1939年3月1日 - 1995年3月22日)は日本の音楽プロデューサー、ピアノ調律師。
[編集] 略歴
山口県防府市に生まれ、1943年、父を結核で失う。1957年に山口県立防府高等学校を卒業し、浜松市の日本楽器KK(ヤマハ)本社工場でピアノ調律師としての徒弟修業を開始。1959年にヤマハ調律師養成システム(委嘱制度)を終え、防府市の実家に帰り、同市内の玉重楽器店に勤務。1961年8月に同店を辞職して上京。1962年、法政大学夜間部に入学。ヤマハピアノ杉並サービスセンターに勤務しつつ同大学に3年余り通学するも、調律師としての本業が多忙となり中退。1968年10月、独立して原田ピアノ調律工房を設立。以後、フリーのピアノ調律師として武満徹など多数の作曲家と関わりを持ち、その人脈を通じて、1975年8月から約10年間にわたり、私財を投じて「プライヴェート・コンサート」と題する演奏会を主催し、楽閥に属さない若い作曲家の育成に貢献した。このコンサートから巣立った作曲家に吉松隆や坂本龍一がいる。同時に、ガリ版刷りのニューズレター『プライヴェート通信』(『プライヴェートコンサート通信』)を定期的に発行配布し、精力的に音楽批評をおこなった。
元より反権威、反権力的であったが、1981年、東京藝術大学教授Uによる受託収賄事件(芸大事件)をきっかけに、徹底的な取材に基づいて藝術を頂点とする音楽業界内部の批判を展開し、それ故か後年自身が没した時には、クラシック音楽の主たるジャーナルではあえて大きく報じられなかった経緯がある。
1980年代以降は体調を崩し、勉強会「零の会」(ぜろのかい)を主催。この会から片山素秀(片山杜秀)(音楽批評、現代思想史)、白石美雪(音楽批評、武蔵野美術大学教授)、高久暁(音楽批評、N.スカルコッタス研究)、長木誠司(音楽批評、東京大学大学院総合文化研究科准教授)、山下裕二(東洋美術史、明治学院大学教授)、大石泰(東京藝術大学演奏芸術准教授)といったアカデミズムの分野だけでなく、様々な才能を輩出した。生涯独身。私生活では1981年頃から胆嚢を患い、1984年には糖尿病で入院すること2回。1988年には進行性直腸癌と診断され、直腸の全摘手術を受けた。その後も癌転移により入退院を繰り返し、肺癌による呼吸不全のため川崎市宮前区の虎ノ門病院分院で死去した。
2002年、原田力男著作集編集委員会の編纂による遺稿集『青春の音楽 原田力男の仕事』(私家版)が上梓された。
[編集] 参考文献
- 中曽根松衛『音楽界戦後50年の歩み』p.226-233(芸術現代社、2001年)


