南方貨物線

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南方貨物線
右側2線が南方貨物線用の線路(大高駅 2007年1月)※現在は撤去されている
右側2線が南方貨物線用の線路
(大高駅 2007年1月)※現在は撤去されている
路線総延長 約 26 km
軌間 1067 mm
電圧 1500 V(直流
名古屋駅 東山線 桜通線
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近鉄名古屋線
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JR東海東海道新幹線
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名臨高西名古屋港線(あおなみ線)
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JR東海:東海道本線中央本線
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東海道新幹線
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笹島駅 -1986
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ささしまライブ駅
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米野駅
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愛知駅
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名古屋車両区
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黄金駅
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笹島信号場
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名古屋工場・名古屋車両所
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日清製粉名古屋工場
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烏森駅
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近鉄:名古屋線
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JR東海:関西本線 八田駅
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小本駅
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KRW+l KRWgr
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荒子駅
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名古屋貨物ターミナル駅
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南荒子駅
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中島駅
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名臨高:あおなみ線
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中川運河
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JR貨物名古屋港線
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名市交名港線
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JR東海:東海道新幹線
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堀川
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名鉄常滑線
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JR東海:東海道本線
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山崎川
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笠寺駅
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名古屋臨海鉄道東港線
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天白川
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大高駅
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南大高駅
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JR東海:東海道新幹線
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共和駅
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DST BHF
大府駅
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JR東海:武豊線
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JR東海:東海道本線

南方貨物線(なんぽうかもつせん)とは、日本国有鉄道(国鉄)が名古屋貨物ターミナル駅1980年開設)から笠寺駅大府駅を結ぶことを目的に建設を行い、途中でそれが中断された東海道本線の貨物支線(未成線)である。

概要[編集]

国鉄が貨物輸送においてまだシェアを多く持っていた昭和40年代、東海道本線の名古屋駅周辺において速度の遅い貨物列車旅客列車の妨げになっていたため、別線敷設による複々線化を行って、これを解消するとともに貨客分離を行い、増大する輸送量を増強する[1][2]ことを目論むようになった。また、名古屋における貨物駅は名古屋駅南方の都心部近くに設けられていた笹島駅であったが、これが手狭になっていたことから、南へ移転する形で「八田貨物駅(仮称)」という新駅を開設することにもなった。この両者の目的により、東海道本線のバイパスとして建設されることになったのが、この「南方貨物線」である[1][2]

当初の計画では東海道線(名古屋 - 稲沢枇杷島及び笠寺 - 岡崎)・岡多線瀬戸線中央線勝川 - 高蔵寺)・関西線とともに中京圏大環状線を形成する予定であった[1]

路線データ[編集]

  • 路線距離:八田貨物駅(仮称) - 大府駅間 約26km
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 複線区間:全線
  • 三線区間:八田貨物駅(仮称) - 名古屋港線交点(仮称)

ルート[編集]

計画は、当時貨物の操車場が設けられていた稲沢駅の手前より笹島駅まで完成していた東海道本線の貨物用別線(事実上は同線の複々線化、通称稲沢線)と、笹島駅から南に伸びて西名古屋港駅までの間を結び、稲沢線と一体になっていた貨物支線(西名古屋港線)を活用する形であった[1]

当時単線非電化であった西名古屋港線を複線化電化高架化して一部スラブ軌道化し(名古屋貨物ターミナル駅北方に西名古屋港線名古屋貨物ターミナル駅方面⇔関西本線四日市方面の連絡線も設置する)、西名古屋港線の途中に設けられる名古屋貨物ターミナル駅の南より分岐[1]して、左カーブして東進、名古屋港駅へ向かう貨物支線(名古屋港線)と立体交差(名古屋貨物ターミナル方面⇔名古屋港駅方面への連絡線も設置する)、そして堀川付近からスラブ軌道の高架で東海道新幹線の西側を並行[1]して名鉄常滑線を跨ぎ、さらに右カーブして東海道新幹線を2度アンダークロスし、笠寺駅の手前で東海道本線に合流、そこから先はルート上にある大高駅付近を高架化した上で[1]東海道本線を線路別複々線化[1][2](完全に並行)する形で大府駅に至るものであった[1]

歴史[編集]

建設は輸送力の増強が目的であったため、日本鉄道建設公団でなく国鉄自身の手で行われ[1]1967年(昭和42年)3月に建設を開始した。1975年(昭和50年)までにほとんどの工事(約90%)[1]は約345億円の工費をかけて完成し、あとは線路を引くだけといった状況になっていた[1]

だが、国鉄における貨物シェアがトラックの普及や労使紛争の影響で激減し、貨客混合の複線のままでも充分になったことにより路線の建設意義が薄くなってしまった[1][2]こと、それに地元から騒音振動公害を懸念して建設反対運動が起こったことから、1975年(昭和50年)に工事は事実上凍結され[1]1979年(昭和54年)には国鉄改革の一環で中止となってしまった[1]。そして八田貨物駅(仮称)だけは「名古屋貨物ターミナル駅」として1980年(昭和55年)に開業したものの、このことから稲沢操車場まで折り返し運転を強いられることになった[1]

その後、1992年(平成4年)の運輸政策審議会答申12号では東海道本線の混雑緩和を目的に、西名古屋港線[3]とともに旅客線としての開業を行ってはどうかという提案も出されたが、名古屋駅 - 熱田駅間を名古屋地区第二のターミナルである金山駅を経由せずに迂回している上、同区間の当時の混雑率(約135%)では意義は薄いとされ、見送られた[1]。西名古屋港線の旅客化工事の際には、南方貨物線が分岐できる構造となっていた高架橋がその阻害となったため、該当部分が撤去された[1]

結局活用方法が見つからず、2002年(平成14年)より[1]景観の改善や老朽化による崩壊の危険性から[2]約300億円をかけて新規建設区間の高架橋を撤去し、土地を売却することにした。しかしバブル経済崩壊の影響もあって、回収できる金額は約40億円程度にとどまることになった。

なお、大高駅 - 笠寺駅間では東海道本線の天白川橋梁が老朽化したため、東海道本線の線路を南方貨物線側に振り替えている(ただし速度制限はかからず、120km/hにて走行できる)[1]

ちなみに、西名古屋港線の中島駅からしばらく高架橋に沿って歩くと、上り線は南方貨物線当時に建設されたものを利用した部分があるのが分かる。単線高架橋の並列となっており、上り線は鉄板で耐震補強してあるが、下り線は当初から耐震基準に沿った高架橋のため、鉄板がないためである(これは西名古屋港線に乗車したままでは分からない)。また西名古屋港線と南方貨物線が分岐する予定だった地点には中部鋼鈑の工場敷地の一部と隣地に橋脚が残されている。西名古屋港線の車窓から、中部鋼鈑の工場越しにそのまま残された高架橋が、近隣工場の立体駐車場として利用されているのが分かる。

2010年(平成22年)現在、高架橋の撤去はその莫大な撤去費用故にあまり進んでいない[2]が、貸借関係のない部分から先に行われている(高架下を事務所駐車場等に賃貸している部分はそのまま残っている場合が多い)。また、大高駅付近のように現在の東海道本線の高架橋と一体で建設されている部分については高架橋の撤去はされず、橋脚の耐震補強が行われている(ただし施行はJR東海ではなく所有者の鉄道建設・運輸施設整備支援機構による)。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 川島 (1996, 2003)
  2. ^ a b c d e f 川島 (2010)
  3. ^ 2004年名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(通称「あおなみ線」)として旅客開業

参考文献[編集]