千葉パイレーツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

画像:Logo serie manga.png
ウィキポータル
漫画作品日本
漫画家日本
漫画原作者
漫画雑誌
カテゴリ
漫画作品
漫画 - 漫画家
プロジェクト
漫画作品 - 漫画家
漫画雑誌
千葉パイレーツ
創設年度 1967年
所属リーグ
セントラル・リーグ
歴代チーム名
  • 千葉パイレーツ(1967年 - )
本拠地
一軍:千葉県営球場
二軍:農場
収容人員 不明
フランチャイズの遍歴
永久欠番
1
獲得タイトル
日本一(0回)
なし
リーグ優勝(0回)
なし
成績(タイトル以外)
球団組織
オーナー 九十九里吾作
運営母体 千葉農協
監督 日上金造、長嶋茂雄

千葉パイレーツ(ちば - 、Chiba Pirates)は、江口寿史野球漫画すすめ!!パイレーツ』に登場する架空のプロ野球チームである。


目次

[編集] 球団概要

九十九里吾作が創設したセ・リーグの球団。ジェロニモ以外千葉県出身で固めている。『週刊少年ジャンプ』連載開始時の1977年は創立10年に当たる。本拠地は千葉県営球場。ちなみに自称50歳の犬井は40歳前後で入団したことになる。

千葉県営球場が、千葉県のどこの市町村にあるのかは不明。作中に登場する地名としては松戸流山などの常磐線沿線・周辺の地域が多いが、作中では長嶋茂雄がパイレーツを「総武線で来ている」と言っているため、その沿線であり、県庁所在地でもある千葉市と考えられる[1]

作中ではセリーグは、ライバルで金満球団である横浜イーグルス→東海イーグルス(大洋ホエールズ横浜に移転したため名称を変更)を合わせた8球団で試合を行なっていた。

球団は創設以来10年連続最下位で、新聞のスポーツ面に掲載される順位表は、7球団だけが紙面の上部に記載され、パイレーツは順位表を大きくはみ出た紙面の最下段に表記されたこともあるなど、通常のチーム扱いはされていなかった。

[編集] 球団記録

[編集] 順位

年度 順位
1968年 8位(最下位)
1969年 8位(最下位)
1970年 8位(最下位)
1971年 8位(最下位)
1972年 8位(最下位)
1973年 8位(最下位)
1974年 8位(最下位)
1975年 8位(最下位)
1976年 8位(最下位)
1977年 8位(最下位)
1978年 8位(最下位)
1979年 7位 球団創設史上初の最下位脱出
1980年 8位(最下位)
1981年 不明

[編集] チーム記録

[編集] 投手記録

  • 完全試合=沢村真(80年、巨人戦。19歳9ヶ月での達成は完全試合最年少。)

[編集] 打者記録

[編集] 永久欠番

1:(沢村真)

[編集] 戦力

結成当初は千葉農協のバックアップと親会社の「ツクモリ・ノウキ」の繁盛で金満球団だったが、オーナーの放漫経営で見る見るうちに、キャンプも千葉県内で満足に行えない貧乏球団になり、慢性的な選手不足と書かれていたが、実はファームが存在しており、選手そのものが不足しているわけではない。しかし、パイレーツの「ファーム」はまさに「農場」であり、ファーム行きを宣告された選手は「農作業で足腰を鍛える」という建前の元、そのまま本当に農業をし続けることになる。但し、中には「壁」捕手や君津兵吉の様に本来戦力になりそうな選手が全くいなかったわけではない。

最も欠如していたのは(選手たちの常識を除いて)投手力で、富士一平が入団まではまともなローテーションが組めておらず、後に江原、沢村の入団によりかろうじて試合になるローテーションが組めるようになる。そのため、一平などは昭和40年代ごろのピッチャーの様な連投などのハードローテーションで投げることも少なからずあった。また、一平も3年目の1979年には、10勝9敗5S・防御率2.73という成績を挙げ、見事10勝投手に成長した。

これに比べて野手陣の実力はかなり高い。俊足巧打の1番打者の粳寅は79年シーズンには、2割9分1厘・24本塁打・61打点・24盗塁の自己最高成績をマークしている。数字だけならセ・リーグは勿論球界でもトップクラスの核弾頭である。2番打者の猿山も、投手としては防御率7点台と二流だが三塁手としてはリーグ屈指の好打者(80年シーズンは、3割4厘・21本塁打・68打点)である。4番打者の千葉も例年3割・40本塁打・100打点近くを稼ぎ出す掛布雅之クラスの強打者で、ジェロニモとの3・4番コンビの強打は決して他球団のスラッガーとも見劣りしない。5番の犬井は打率こそ2割そこそこだが20本塁打と高い打点を弾き出すクラッチヒッター。6番稲刈は欠場が多いが、80年シーズンには90試合出場ながら2割5分8厘・10本塁打を打つ長距離砲である。

守備力も実はかなり高い。キャッチャー犬井は沢村のフォークボールにも対応でき、一平の投球面の弱点(球が速いだけ)を指摘し、一方でリーグ屈指の左腕投手に成長させるなど、捕手としては充分に実力者と言える。また、ショート獅子丸の守備はゴールデングラブ賞ものであり、セカンドの昆も守備面で活躍している。センターのジェロニモは(本来ルール違反だが)ホームランをモヒカンで打ち落とすことができ、ライト粳寅も俊足から守備範囲は広かったと考えられる。穴はレフト千葉くらいのものである[2]

試合は退場者続出のために没収試合や無効試合も存在することがあり、対する他球団は主力温存の機会とばかりに無名選手ばかりを出場させることになる。しかし、中には犬井が試合開始直後に退場処分となったために、逆に試合に勝ったこともある。

[編集] オーダー

オーダーは登場人物の変遷もあり、中盤までかなり流動的である。中盤以降はほぼ固定化し、以下の通りとなる。

  1. 粳寅 満太郎:ライト
  2. 猿山 さるぞう:サード
  3. ジェロニモ:センター
  4. 千葉 修作:レフト
  5. 犬井 犬太郎:キャッチャー
  6. 稲刈 真青:ファースト
  7. 獅子丸:ショート
  8. 昆 比雄馬:セカンド
  9. ピッチャー

作品当初は4番犬井、5番千葉のオーダーが一般的であったが、ジェロニモ加入あたりからジェロニモ、千葉、犬井のクリーンナップトリオとなっていく。一時期好調だった猿山が4番をつとめたこともあった。

[編集] ファン

ファンクラブは地元千葉県の農協で、ファン感謝デーは「農協の日」と呼ばれ、地元の老人がスタンドに大挙して埋め尽くすのが作中に描かれている。また、千葉県以外の全国の農協の支持もある。

ファンクラブは組織票でオールスターをパイレーツの選手で独占できるほど厚く、チーム名が企業名でなく地域名であること、ファームの選手が農業に励んでいることと合わせて、千葉県内においてはチームへの支持はそれなりに高く、後にJリーグやプロ野球に見られる地域密着のチームとなっていた点が興味深い。

[編集] 現実のパイレーツ

日本プロ野球でパイレーツの名前をつけた球団は、2リーグ制に移行した初年度の1950年に1年間だけ、西日本パイレーツが存在した(翌年、西鉄クリッパースと合併して西鉄ライオンズになる)。また、独立リーグ四国・九州アイランドリーグには愛媛マンダリンパイレーツがある。アメリカ・メジャーリーグにはピッツバーグ・パイレーツが存在し、日米野球などの際に『すすめ!!パイレーツ』作中でも登場している。

ロッテオリオンズが川崎市から千葉市に移転する際にチーム名を募集したとき、「パイレーツ」はそれなりの票を集めたが、「海賊」と本作のイメージが忌避されたためか選に漏れている。

[編集] 脚注

  1. ^ 実在の千葉県野球場は千葉市稲毛区(連載時は政令指定都市昇格前)にあり、パイレーツ創立2年目の1968年に開業している。
  2. ^ しかし、現実のプロ野球でも、2000年の大阪近鉄バファローズや2003年の横浜ベイスターズなど、打線はリーグでも最強だったでありながら最下位というのは決して珍しいことでは無い。1998年の千葉ロッテマリーンズなどは打率リーグ1位の上に防御率もリーグ2位だったのに順位は最下位であったし、2006年のパリーグ最下位の東北楽天ゴールデンイーグルスも、打線では規定打席到達の3割打者が4人もいた。