千田町 (広島市)

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千田町せんだまち)は、広島市中区に位置する町である。ここでは、「千田」を町名に含む地区の総称として用いる。

目次

[編集] 概要

京橋川・元安川(上流は本川)に囲まれたデルタの最南端に位置する。かつては広島大学を初めとする多くの学生が学業に励み生活していた市内有数の文教地区として知られていたが、近年の大学移転により学生街としての性格は次第に薄れつつある。

[編集] 隣接する地区

[編集] 歴史

1930年ごろの広島市。広島高師・高工など現在の広島大学の旧制前身校のほか、広島工業学校(県立工業高校の前身)・進徳高女(進徳女子高の前身)など、現在は地区外に移転している学校が立地していたことがわかる。
原爆による火災消失地域。千田町地区の南半部は全焼地域を外れているが、爆風により建造物が全半壊するなど大きな被害を出した。

現在の千田町は、もともと藩政期に新開地(埋立地)として広島湾頭に造成された土地であり、当時は広島城下国泰寺村の一部をなしていた。その後町名変更により国泰寺村より独立、宇品港(現在の広島港)を築港した当時の広島県令(現在の県知事)の千田貞暁にちなみ「千田町」と改名した。

第二次世界大戦以前から、この地区には広島高等師範学校広島高等工業学校広島文理科大学・山中高等女学校(のち広島女子高等師範学校)・修道中学校などの高等・中等の教育機関が立地していた。このため、文教都市としての広島を象徴する町とされていた。

1945年8月6日原爆投下に際しては、千田町地区はおおむね爆心地から1.5 - 2.5km前後に位置しており、北半部は全焼もしくは全壊、南半部はやや被害は小さかったもののほとんど半壊地域であり、建物疎開や公共機関での勤労奉仕のため動員された学徒も含め多くの人的・物的被害を受けた。地区内では最大の医療施設である赤十字病院も大きな被害を受けたが早い時期から殺到する被爆者の治療に当たった。なお当日正午前、市中心部方面から被害の小さい宇品へと避難するため御幸橋西詰に集まってきた人々を中国新聞カメラマン(松重美人)が撮影しており、当日の市街地の状況を知るほとんど唯一の写真となった。

戦後、1949年には前記の広島高師・広島女高師・広島工専(高工)・広島文理大などを包括して新制広島大学が発足し本部キャンパスが置かれたのでこの地区は市内随一の文教地区であり続けたが、1980年代以降、キャンパスが手狭になったことから広島大本部および主要学部が東広島市に移転、中等以上の教育機関としては、広大の通信課程施設(東千田キャンパス)の他には修道高校・中学校のみが残っている。

[編集] 住居表示・地誌

  • 千田町(せんだまち)一〜三丁目
千田町地区全体のうち、おおむね電車通り以南に位置する区域(一部電車通り以北区域も含んでいる)の北半分。
  • 東千田町(ひがしせんだまち)一・二丁目
千田町地区全体のうち、電車通り以北に位置する。半分近くはかつての広島大キャンパス(東千田公園)である。
  • 南千田西町(みなみせんだにしまち)・南千田東町(みなみせんだひがしまち)
地区の南端、すなわちデルタの南端に位置し、京橋川・元安川の合流点を臨む。

[編集] 主な施設

[編集] 公共機関

  • 千田水資源再生センター(広島市下水道局管理部 / 南千田西町)

[編集] 学校

[編集] 文化施設

  • かつての旧制校(広島工専)以来の広島大工学部キャンパス跡地。

[編集] 会社

  • 広島電鉄本社(東千田町)- 本社社屋のほか、電車車庫(千田車庫)・変電所など設置。

[編集] 病院

  • 広島赤十字・原爆病院(日赤病院 / 千田町)
  • 広島市医師会千田町夜間急病センター(広島の各医療機関が協力して運営 / 千田町)

[編集] 公園


[編集] 宗教施設

  • 妙法寺(千田町)

[編集] 道路

[編集] 交通

[編集] 著名な出身者

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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