北沢産業網干鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| 北沢産業網干鉄道 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
DB2形
網干駅駐車場に静態保存 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 路線総延長 | 5.9 km | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 軌間 | 1067 mm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北沢産業網干鉄道(きたざわさんぎょう あぼしてつどう)は、兵庫県姫路市の網干駅から同市の浜田港駅までを結んでいた、北沢産業(厨房機器メーカーの北沢産業とは別会社)が運営していた鉄道路線の通称である。なお正式な路線名はない。
国鉄山陽本線と、姫路木材港(姫路港浜田地区)を結んでいた貨物線である。
目次 |
[編集] 概要
沿線にあった東芝の工場(姫路工場・網干工場)に物資を輸送するため建設された専用線が発祥である。戦時中には貨車で通勤客を輸送していたこともあったという。戦後東芝が過度経済力集中排除法の適用を受け、網干工場が西芝電機として独立したことに伴い、専用線は北沢産業に譲渡された。
北沢産業の運営となったあと専用線は1966年に地方鉄道に転換されたが、実態は従前とほとんど変わらなかった。工場への物資輸送がトラックへと切り換えられ、末期は輸送量が激減していたが、国鉄の貨物合理化の流れもあり最終的に廃止された。
当線で使用されていたディーゼル機関車のうち、DB1が高砂市内に、DB2が北沢産業の北沢網干パーキングに保存されている。また太子町米田地区ではレール未撤去の廃線跡が存在する。
1960年代までは蒸気機関車を保有・使用しており、廃車後そのうち2両が三重県のナガシマスパーランドにあった「長島温泉SLランド」に保存されたが、すでに解体されている。
[編集] 路線データ
[編集] 歴史
- 1943年(昭和18年) 東芝姫路工場が操業開始。この頃同工場への専用線が運用開始
- 1950年(昭和25年)11月 北沢産業が専用線を譲受
- 1966年(昭和41年)11月1日 網干駅 - 浜田港駅間の地方鉄道の免許を取得。専用線から地方鉄道に転換
- 1973年(昭和48年)2月27日 木材輸送終了により、中浜田駅 - 浜田港駅間が廃止
- 1984年(昭和59年)2月1日 国鉄との貨物連絡運輸を廃止。事実上休止となり、浜田機関区からの機関車回送のみとなる
- 1987年(昭和62年)11月1日 網干駅 - 中浜田駅間が休止
- 1989年(平成元年)5月1日 全線廃止
[編集] 駅一覧
括弧内は起点からの営業キロ
網干駅 (0.0) - 上余部駅 (1.7) - 中浜田駅 (5.2) - 浜田港駅 (5.9)
- 上余部駅は東芝姫路工場の西端に位置し、同工場からの専用線が接続していた。
- 中浜田駅は西芝電機工場の西端に位置し、同工場からの専用線が接続していた。
- 上余部駅 - 中浜田駅間に揖保川を渡る延長213mの重厚なトラス橋が存在していた。
- 戦前の弾丸列車は当線と交差する予定であった。
- 余談だが、1982年に廃止になった山陰本線貨物支線(浜田港線)にも「浜田港駅」が存在した。
[編集] 接続路線
- 網干駅:山陽本線
[編集] 脚注および参考文献
- 今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』9 関西2、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790027-2。