北山寒厳
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北山 寒厳(きたやま かんがん、明和4年10月26日(1767年) - 寛政13年1月18日(1801年))は、江戸時代中期の画家である。
江戸麻布に生まれる。本名は馬孟煕、字を文奎、通称 大太郎・権之助。17世紀のバロック画家ヴァン・ダイクにかけ樊泥亀(凡泥亀)と号した。
父 馬道良(日本姓は菅原氏)も画家で、祖は明国に起源をもつ。この父から画を学び、自ら中国北宗画を研究した。また西洋のパステル人物画の研究も行っている。画風には沈南蘋の影響も見られる。谷文晁の師としても知られるが、むしろ互いに影響を及ぼしながら画の研鑽をしあった関係にあった。寛政6年(1794年)には文晁と感応寺にて古画鑑画会を催してその縮図録『書画甲観』として刊行している。田能村竹田は『山中人饒舌』の中で寒厳の画を高く評価しており「もし長生きしたなら谷文晁と名声を二分したであろう」と述懐している。
35歳にて没する。
[編集] 作品
[編集] 挿絵
- 『万国新話』(1789年)