北京ダック
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| 繁体字 | 北京烤鴨 | ||||||||||||||
| 簡体字 | 北京烤鸭 | ||||||||||||||
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| 英語: | Peking Duck | ||||||||||||||
北京ダック(ペキンダック。北京烤鴨、ベイジンカオヤー、Běijīng kăoyā)は、下処理したアヒルを丸ごと炉で焼く料理。北京料理の代表料理のひとつ。香港では「北京填鴨、パッケンティンアーッ Bakging tin'aap」、台湾では「北平烤鴨、ペイピンカオヤー Běipíng kăoyā」とも呼ばれる。
目次 |
[編集] 概要
炉(窯)の中でパリパリに焼いたアヒルの皮を削ぎ切りにし、小麦粉を焼いて作った「薄餅」(バオビン、báobĭng)または「荷葉餅」(ホーイエビン、héyèbĭng)と呼ばれる皮に、ネギ、キュウリや甜麺醤と共に包んで食べる料理である。皮だけを薄く削ぐ店と、ある程度肉も付けて切る店がある。
コース料理の場合は、残った肉の部位は肉料理に加工して食べる。骨のがらは白濁した「鴨湯」(ヤータン、yātāng)と呼ばれるスープを作るのに用いる。通常は皮、肉、骨の三点セットだが、水かき(鴨掌、ヤージャン、yāzhăng)はゆでて辛子和えにし、肝臓は素揚げにして食べる事もある。また、脳や舌も出す店がある。このように、無駄なくアヒルの全ての部位を楽しむ事が出来る。
[編集] 日本での誤解
日本で北京ダックが広く知られるようになった際に「皮を食べる料理」という点ばかりが話題になったことから、「北京ダックの肉は食べられない」という誤解が広がっているが、実際にはコース料理で肉や骨など各部位が利用されている。皮を食べる時のみ北京ダックという名を使い、肉などは加工後の名前で呼ばれる事が多いのも誤解の一因となっている。
[編集] 歴史
北京が発祥地とされているが、15世紀に明の永楽帝がアヒル料理の盛んな南京から遷都した際に原型となる「叉焼鴨」が伝えられ、北京で宮廷料理にまで発達したといわれる。このため、南京の別称である「金陵」を冠した「金陵烤鴨」とも呼ばれた。
北京の名店の内、便宜坊烤鴨店は1855年に、全聚徳は1864年に開業している。全聚徳の知名度が特に高く、中国各地の大都市、さらには日本を含む海外に支店を持つまでになっている。
現在は、中国に限らず、香港、台湾、シンガポール、マレーシア、タイなど中華系住民の住む地域に共通して見る事が出来る料理である。その知名度から世界各地の中華街で看板メニューになっており、日本の北京料理店でも提供する店がある。また、真空包装や冷凍技術の発達により、中国で焼かれた北京ダックが各国に輸出されている。
[編集] アヒル
北京ダックに使うアヒルは、北京市郊外、河北省を中心に特殊な方法で飼育されており、このアヒルのことも北京ダックと呼ぶことがある。早く、大きく、脂肪を多く蓄えた状態に育てるために、ムギなどの高カロリーの餌を、口にくわえさせたパイプから胃に流し込んで、強制的に食べさせる。充填するような食べさせ方、もしくは、この方法で育てられたアヒルを「填鴨」(ティエンヤー、tiányā)と呼ぶ。ちなみに、中国では詰め込み教育の事を「填鴨式教育」と呼ぶ。
ふ化後、約45日で出荷に適した程度に成長すると言われる。現在は、脂肪が多すぎるものが余り歓迎されず、育て方を変えたアヒルが使われることもある。アヒルは屠殺してから、毛をむしり、内臓を取り出して、水を充填して焼く用意ができる。
[編集] 作り方
主に焼き方の違いにより、吊るし焼き(挂炉 グワルー、guàlú)といわれるものと、蒸し焼き(悶炉 メンルー、mēnlú)といわれるものに分かれる。 吊るし焼きの調理法は、主に以下の通り。
- アヒルの皮と肉の間に空気を入れて膨らませ、内臓を取り除く。
- 熱湯をくぐらせてから皮に麦芽糖水飴を塗って乾かす。
- 炉の中につるし、皮がぱりっとするように丸焼きする。
- 焼きあがったら、削いだ皮とネギやキュウリの千切りを、薄く焼いた小麦粉の皮(薄餅、バオビン)に味噌だれ(甜麺醤)とともに乗せ、巻いて食べる。巻く時は、薄餅を利き手でない手に乗せ、最初に味噌だれをつけたアヒルの皮や肉を中央に置き、さらにネギやキュウリを縦置きにし、薄餅を左右から3つ折にした後、手前側の薄餅を折って底を閉じれば、中身が落ちて汚すことがない。
北京ダックを焼く炉は多くの場合、インドでナンやタンドリーチキンを焼くタンドールという炉に似ており、類似の炉は中央アジアや中東で広く見られ、北京と外国との古くからの交流を窺わせる。