北九州空港 (初代)
| 小倉空港 | |||
|---|---|---|---|
| IATA: |
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| 概要 | |||
| 空港種別 | 民間 | ||
| 所在地 | 小倉南区大字曽根 | ||
| 都市 | 福岡県北九州市 | ||
| 標高 | 3 m / 10 ft | ||
| 座標 | 北緯33度50分11秒 東経130度56分49秒 / 北緯33.83639度 東経130.94694度 座標: 北緯33度50分11秒 東経130度56分49秒 / 北緯33.83639度 東経130.94694度 | ||
| 滑走路 | |||
| 方向 | ILS | 全長×全幅(m) | 表面 |
| 舗装 | |||
2006年3月15日まで運用されていた北九州空港(きたきゅうしゅうくうこう)は、福岡県北九州市小倉南区大字曽根(そね)に位置し、国土交通大臣が設置管理していた日本の空港。
目次 |
[編集] 概要
太平洋戦争の最中、当時の小倉市曽根に大日本帝国陸軍の曽根飛行場として誕生した。大戦後にアメリカ軍への接収を経て民間飛行場(国土交通大臣が設置管理していた改正前の空港整備法による第二種A空港)に転用され、北九州の空の玄関口として運用されていた。旅客定期便の運用が始まるまではグライダーの練習場として使われていたこともあった。
1961年より民間飛行場として運用開始され、全日空が日本航空機製造YS-11などのターボプロップ機により大阪便を運航していたが、東以外の三方を山に囲まれ霧が立ちこめやすい立地から欠航率が高かった。さらに1975年に山陽新幹線の岡山駅 - 博多駅間が開業したことに伴い利用客が減少。輸送量と高速化のためには1500mしかない滑走路を延伸するジェット機化への対応が不可欠であった。
しかし滑走路の一方は山に阻まれ、もう一方も曽根干潟に面しており、環境保護の観点から埋め立てができないという立地条件のため滑走路の延伸を断念。1983年に定期便が廃止された。
このため、1970年代からジェット機が就航可能な2500mの滑走路を持つ空港建設を目指す検討が行われ、度重なる陳情の結果、1981年第4次空港整備計画に採択、苅田町沖の土砂処分場に新空港が建設されることが決定したが、完成までにかなりの期間を要するため、1988年新空港開港までのつなぎとして現空港を利用して定期便(東京便)を再開することが決定、滑走路をマクドネルダグラスMD-87機が離着陸可能な1600mに延長し、1991年日本エアシステムにより東京便が開設された。
| 乗降客推移 | |
|---|---|
| 年度 | 乗降客数 |
| 2002 | 256,000 |
| 2003 | 271,000 |
| 2004 | 303,000 |
| 2005 | 374,000 |
しかし、当初は1日2往復しかなく、都心部にありボーイング747などの大型機の離着陸も可能な福岡市の福岡空港と利用圏域が競合し、福岡市地下鉄空港線の延長で利便性が向上すると反比例するように利用が低迷していたが、最大1日5往復にまで増便され、利便性が向上すると、利用客が増加していった[1]。
2006年3月16日に北九州市と苅田町に跨る周防灘沖の人工島に新たな空港(新北九州空港)を設置し、運用を開始。空港機能は新空港に引き継がれ、新空港開港前日の3月15日をもって旧空港の運用を終了している。なお、名称の正式な“移転”(新北九州空港の北九州空港への改名)は、2008年6月の空港法改正を待たなければならなかった。
[編集] 航空管制
| RDO | 118.25MHz | 126.20MHz |
[編集] 歴史
- 1944年9月1日:陸軍・曽根飛行場として開港(軍用飛行場)。
- 1945年:敗戦によりアメリカ軍に接収。
- 1957年:運輸大臣告示により、公共用飛行場に指定され、「小倉飛行場」と命名される。
- 1958年:空港整備法による第二種空港・「小倉空港」となる。
- 1961年:民間飛行場としての供用開始。
- 1973年:「北九州空港」と改称される。
- 1983年:ANAが当空港唯一の旅客便であった伊丹線を廃止、定期便の発着が無くなる。山陽新幹線に乗客を奪われたことが最大の理由となった。
- 1988年:新空港開港までの運用再開が決定。
- 1989年:滑走路延長工事(1500mから1600mへ延長)着工。
- 1991年:延長工事完工。日本エアシステム(当時)が羽田線を開設、8年ぶりに定期便が再開される。
- 2006年:空港機能を新空港へ全面移転し廃港。
[編集] 廃港後
跡地の再利用構想については、2004年に北九州市の意見表明[2]が、翌年には国有財産九州地方審議会からの答申[3]が出された。その後、2006年5月の北九州臨空産業団地へのトヨタ自動車九州の展開(これにより北九州臨空産業団地は、ほぼ完売となった)を受けて、11月に「北九州空港移転跡地土地利用計画」が策定された。これは、跡地を「医療生活」「新産業」「環境保全」の3地区に分けて利用する計画である。
- 2006年 - 九州労災病院の移転が決定(西側の約5ヘクタール)。
- 2007年 - 「北九州空港移転跡地土地利用計画」を策定。42haを購入し、産業団地の整備を開始。
- 2008年 - サカエ理研工業が初の進出企業となる(2010年3月竣工)。
- 2011年 - 九州労災病院が移転開院(5月1日)。
[編集] 空港へのアクセス
- 供用終了直前のデータ。