労働党 (リトアニア)

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リトアニア共和国の政党
労働党
Darbo Partija
党首 ヴィクトラス・ウスパスキフ
セイマス議席数
10 / 141
(7%)
(2011年10月30日)
党員・党友数
12,956名
(2011年11月30日)
政治的思想・立場 中道主義ポピュリズム
公式サイト Darbo Partija
セイマス議席は青年党との連合である。
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労働党リトアニア語Darbo Partija、略称:DP)は、2003年に成立したリトアニア政党である。欧州自由民主改革党に参加している。農村部やロシア系住民の一部から支持を得ている。

沿革 [編集]

2003年10月18日、リトアニア在住のロシア人企業家でケダイネイ地方の無所属議員だったヴィクトラス・ウスパスキハスViktor Uspaskich)によって結成された(政党登録は同年11月25日)。

党結成翌年に行われた、2004年ヨーロッパ議会選挙において30.2%の得票率を得て第一党となり、リトアニアに割り当てられた13議席中5議席を獲得した。また同年行われた議会選挙でも28.4%の得票率で第一党となり、全141議席のうち39議席を獲得した。選挙後、労働党は社会民主党新同盟(社会自由党)とともに第2次アルギルダス・ブラザウスカス内閣を発足させた。

当初はポピュリズム的政策を掲げていたが、連立政権参加後は次第に中道左派の政策を掲げるようになった。しかし、既成政党への挑発的な態度は続き、2006年に新同盟が連立政権を離脱するきっかけを作った。その後、党首であるウスパスキハスに学歴詐称や汚職疑惑が浮上し、彼は一時ロシアに逃亡し、政権から離脱した。これによって第2次ブラザウスカス内閣は崩壊した。また同年には反ウスパスキハス派の議員数名が離党して市民民主党(Pilietinės Demokratijos Partija)を結成した。

2008年10月の議会選挙では青年党と政党連合を組み、得票率9.0%で10議席を獲得。翌2009年の欧州議会選挙では得票率8.79%で1議席に留まった。

外部リンク [編集]

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