加藤泰秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加藤 泰秋(かとう やすあき、弘化3年8月12日(1846年10月2日) - 大正15年(1926年)6月17日)は、伊予大洲藩の第13代藩主。父は第11代藩主・加藤泰幹(泰秋は次男)。第12代藩主・加藤泰祉の弟。母は雲林院。正室は山内豊資の養女で、徳大寺公純の娘・福子。官位は従四位下、遠江守。正二位。
1846年8月12日生まれ。1864年、兄の死去により後を継いだ。藩財政再建のために倹約や家臣団の知行削減を行ない、軍備の増強に尽力した。1866年には窮民の救済を行なっている。幕末期の動乱の中では尊王派として行動し、小御所会議においては藩の軍勢を率いて御所の警備に当たった。1868年の戊辰戦争では新政府軍に与して、武成隊で甲府城警備や奥羽討伐に貢献している。1869年6月に版籍奉還で藩知事となり、1871年7月の廃藩置県で免官された。1884年に子爵の位を授けられた。
大正時代には、侍従として大正天皇によく仕えたと言われている。1926年6月17日、81歳で死去した。法号:大義院殿明道大居士。墓所:大洲市西山根の曹渓院。
|
|
|

