加橋かつみ

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加橋 かつみ
基本情報
出生名 高橋 克己
別名 トッポ
出生 1948年2月4日(66歳)
出身地 日本の旗 日本 大阪府堺市
血液型 B型
学歴 京都府立山城高等学校中退
ジャンル J-POP
グループ・サウンズ
ニューロック
アニメソング
職業 ギタリスト
歌手
担当楽器 ボーカル
リードギター
活動期間 1967年 -
レーベル ポリドール
(1967年 - 1969年)
フィリップス
(1970年 - 1971年)
ミノルフォン
(1971年 -1979年 )
ビクターエンタテインメント
(1980年 - 1982年)
ポリドール
(1982年 - 不明)
事務所 渡辺プロダクション
(1967年 - 1971年)
北島音楽事務所
(1975年 - 1979年)
共同作業者 ザ・タイガース
公式サイト HAIR 1969 TOKYO
著名使用楽器
ギブソン・ES-335
エピフォン・カジノ
フェンダー・テレキャスター
モズライト
TOM ANDERSON

加橋 かつみ(かはし かつみ、1948年2月4日 - )は、日本ミュージシャン、音楽プロデューサーであり、ザ・タイガースの元メンバー。本名、高橋 克己(たかはし かつみ)。ザ・タイガース在籍時の愛称はトッポ大阪府堺市生まれで京都府育ち。

来歴・人物[編集]

デビューまで[編集]

小学・中学時代は、教会の聖歌隊に入り、大阪工業大学高等学校(現:常翔学園高等学校)に進学。その後、京都府立山城高等学校に転校。 1965年、バンド仲間達と「サリーとプレイボーイズ」を結成。 翌年「サンダース」のボーカリスト沢田研二を迎え「ファニーズ」と改名、大阪ジャズ喫茶「ナンバ一番」の専属バンドとなる。1966年11月、渡辺プロダクションオーディションに合格し、上京。

ザ・タイガース時代[編集]

ザ・タイガースのリードギターボーカル担当。澄んだ伸びのある高音の歌声が評価され、シングル花の首飾り」、「廃虚の鳩やアルバムでリードボーカルを務めた。ギタリストとしての実力もあり、当時GSの頂点を極めたザ・タイガースの中に於いて、沢田研二と双璧をなす存在であった。またグラフィックデザイナーを志していたこともあり、グループの衣装をデザインするなど、バンドとして欠くことが出来ない存在だった。1982年のタイガース同窓会でのヒット曲色つきの女でいてくれよでもリードボーカルを務めている。

ビートルズを原点とした、音楽志向とアイドル性を併せ持ち、GSの象徴的存在といわれた。繊細で芸術家肌、その感受性の強さゆえに誤解を受けやすい言動もあり、「ザ・タイガースのブライアン・ジョーンズ」と評するマスコミもあった。特に当時、時計の針の如く仕事に対し忠実な姿勢であった沢田研二とは、相入れないことが多く、度重なる意見の相違が不仲との報道へ繋がっていった。

リードボーカルを担当した「花の首飾り」がオリコンチャートの頂点にあった頃より、自身がアイドルという存在であることに疑問を感じ、音楽を通じて世界へメッセージを発信したいという思いが強くなる。当時画期的だったコンセプトアルバム『ヒューマン・ルネッサンス』製作は加橋の意向を反映したもので、テーマは「誕生、平和、友情、恋、祭り、運命、兵士、母、死、英雄、人類の滅亡、再出発」、同時期に実施されていた明治チョコレートとのタイアップ・キャンペーン『天地創造ものがたり』のテーマである旧約聖書とリンクした内容になっていた。だが、アルバム完成後も、加橋の疑問が払拭されることはなかった。 当時、各プロダクションがGSを粗製濫造。音楽的にもビジュアル的にもGSのレベルは低下。更に渡辺プロによる「アイドル戦略」の中に於いて、高い音楽志向を持ち、感受性の強い加橋かつみは、GSのあり方やプロダクションの対応に限界を感じ、グループ脱退を考えるようになる。森本太郎が「トッポが退団したいと言っていることを聞いた」という記録を、1968年5月頃残している。人気が頂点に達していたこの頃、沢田と双璧をなす加橋かつみを失うことは出来ず、渡辺プロ側は懐柔策として、加橋の意向を反映し、メンバーの自作曲も含むアルバム『ヒューマン・ルネッサンス』の制作を進める。 だがアルバム完成後、加橋は、退団へと再び傾く。自分達のバンドであったタイガースが、渡辺プロによって操られ、その根底に渡辺プロの副社長・渡辺美佐の沢田研二への愛情がある[要出典]ことに反発して、自らの脱退を最終的に決意する。渡辺美佐は、沢田研二以外のメンバーには興味がなく、レストランキャンティで挨拶した加橋に「あなた誰?」と言い放ったという逸話がある[要出典]。「花の首飾り」、「廃虚の鳩」がヒット中の逸話である。

1969年1月の14日から20日、ザ・タイガースは日劇ウエスタン・カーニバルに出演、ヒッピーをイメージした衣装で登場し青い鳥」、「朝に別れのほほえみを」、「帆のない小舟」、「割れた地球」の4曲を演奏する。全てがアルバムからのピックアップ、情報が圧倒的に乏しかった時代、彼等が意図したステージはファンに受け入れられるには、多くの時間が必要だった。 森本太郎の日記には、加橋脱退に関するミーティングが重ねられたと思われる記述が増え、加橋脱退を3月上旬と定めた上での、本人やメンバーはもちろん、渡辺プロ総掛かりでの加橋かつみ失踪、除名、ザ・タイガースへの岸部シロー加入、新生タイガース誕生というシナリオがあった可能性も示唆されている。

1969年3月5日、加橋は渋谷・斉藤楽器でのレッスン中にスタジオを離れ戻らなかった。マスコミは 失踪 と報道。 ザ・タイガースは渡辺プロダクションが箱根に所有する別荘に篭り、活動を休止する。 加橋は、ザ・タイガースを脱退、後任にはベースギター担当である岸部おさみ(現:岸部一徳)の実弟、シローが決定する。

ザ・タイガース脱退劇[編集]

自発的な失踪と発表されたが、渡辺プロ主導の脱退劇だったことが発覚する。加橋脱退の意向を受けたものの、GSの象徴的存在であり、人気と実力を兼ね備えた加橋かつみを大きな理由もなく失うことで、ザ・タイガースの人気が下降することを恐れた渡辺プロが、次なる加橋の受け入れ先としてフィリップス・レコードとの契約を取り持った上で「加橋かつみの自発的失踪」という体裁を繕おうとしたものだった。 失踪報道が流された頃、渡辺プロは加橋を母親と共に事実上ホテル拘束、外部に連絡を取ることを許さなかった。この失踪劇は、加橋と同じ様な疑問や思想を抱き、加橋の一番の理解者でもあった瞳みのるにとって、他のメンバーとの間に亀裂を生む原因となる。加橋脱退を境に、瞳みのるの笑顔は消えていった。

渡仏[編集]

加橋かつみは渡仏し、アルバム『パリ1969』を製作。 ザ・タイガース脱退は3月、このアルバムレコーディングは4月に行われている。アルバムでプロデュースのクレジットがある川添象多郎は、著名人とも関わりの深いレストラン「キャンティ」及びブティック「ベビー・ドール」のオーナー・川添浩史の息子・川添象郎であるが、実質的には浩史が、フランスでポップ・ミュージックのレーベル「バークレー・レコード」を経営する友人エディ・バークレーにレコーディングの機会を与えてくれるように依頼したと、『キャンティ物語』に記されている。アルバムの作家も、「キャンティ」の人脈で占められており、安井かずみ、村井邦彦、山上路夫と、ザ・タイガースのレコードに関わっていた面々はもちろん、かまやつひろしも参加し、当時、ザ・スパイダースのファッションや音楽のアドバイザー的存在でもあったレーサー・福沢幸雄の妹・福沢エミの詩も取り上げられ、シングルカットされた「花の世界」、「つばさ」ラストに収録されている「水の輪」など、"加橋かつみ"でしか描き得ない、鮮やかな彩の感受性豊かな心の世界を表現している。しかし、このアルバムは渡辺プロの圧力で、沢田研二のソロ・アルバム発売より約4週間後の12月末になって発売される。

ミュージカルヘアー東京公演[編集]

帰国後、加橋かつみは反戦を掲げてロックミュージカルヘアーを日本で公開、主役を務め 東京公演では11万人を動員したと記録されている。 この頃、ベトナム戦争の泥沼化という世界的背景を受け、登場したのがロック・ミュージカル『ヘアー』。 1967年10月29日、ニューヨークダウンタウンにあるパブリック・シアターを皮切りに日本を含め、イギリス西ドイツ、フランスなど十八か国で上演されることになるこの作品は、ベトナム戦争への抗議、の解放、資本主義に対する嫌悪、宗教に対しての疑問など、当時のアメリカの若者達の心情がテーマ。 ブロードウェイ上演は1968年、ブロードウェイにロックを持ち込んだ最初のミュージカルであり、アメリカ史の一部を語れるほど、社会に影響を及ぼした作品。 加橋は各界の著名人が集うイタリアン・レストラン「キャンティ」のオーナーにして、当時としては日本の芸能文化のパトロン的存在だった川添浩史と共に、この作品を日本に紹介し、日本語への訳詞も手掛けている。 初演は1969年12月、渋谷東横劇場で行われた。 東京公演中、一部出演者による大麻パーティがおこなわれ、当時制定されたばかりの大麻取締法違反容疑により加橋は警視庁へ留置される。 このため1970年2月をもって東京公演終了を余儀なくされ、また予定されていた大阪公演は実現しなかった。

タイガース解散[編集]

渡辺プロダクションは、1971年1月24日日本武道館に於けるザ・タイガース解散コンサートで、サプライズとして加橋に「花の首飾り」を歌わせようと本人を会場に呼び寄せるが瞳みのると沢田研二に猛反発され、ナベプロの目論見は実現しなかった。 ただし、公演終了後に銀座の「ちゃんこ鍋屋」で行われた懇親会には、メンバーと共に加橋も参加、岸部おさみの両親も参加して、午後11時まで晩餐と会話を楽しんだようだ。この席から直接、瞳みのるは京都へ向かったと、森本太郎の手記に記されている。

再起 アルバム『1971 花』[編集]

ザ・タイガース解散後、各メンバーが別々に音楽活動を始めた時期と時を同じくして、加橋は再起。 1971年5月アルバム『1971 花』をリリース。当時の世相を織り込み、60年代とは違う大人の雰囲気を持つアルバムとなっている。 ザ・タイガース後期に曲を多く書いた村井邦彦に加えて、ザ・タイガースの礎を創ったと云える、すぎやまこういちが作曲家として参加。 作曲したのは各々2曲ずつだけだが、かつて加橋在籍時のザ・タイガースのオリジナル・アルバム『ヒューマン・ルネッサンス』と同じ布陣といえる。

再び渡仏[編集]

1973年2月アルバム『パリⅡ』をリリース。再びパリで録音された。『ヘアー』の出演者で、堀内護(堀内麻九名義)、日高富明の作品も収録。 「水色の世界」は、72年2月発表のガロのシングル「地球はメリーゴーランド」のB面収録曲。「この広い世界」は、ガロが72年10月にシングル発表した「涙はいらない」のリメイク曲。ザ・タイガースの仲間、森本太郎の「ひとり」も収録されている。かまやつひろしも、『パリ1969』に続いて「僕の心の底深く」という曲を提供している。時期的にフォークブームだったこともあり、アコースティックの要素を多く含むアルバムとなっている。

新境地をめざして[編集]

1975年には新境地を目指すべく、北島音楽事務所に所属、1975年8月に発表されたシングル「哀哭」やそのB面「古都の雨」は演歌調の歌で、11月に発表されたアルバム『郷愁』では、「遠くへ行きたい」、「知床旅情」、「誰もいない海」、「花嫁人形」、「帰ろかな」など、懐かしい郷愁を感じる曲を歌っている。

1976年4月にはシングル「日盛り」を発表。フォークシンガー及川恒平作詞の叙情あふれる曲となっている。二か月後の1976年6月に『日盛りの街に出て』(婦人生活社)という本を出版、ザ・タイガース時代のことを含め、それまでの28年間の人生を振り返った内容となっている。

その後、ゴダイゴの事務所に移籍。1979年4月から1986年3月まで「青い空白い雲」がひらけ!ポンキッキのオープニング曲に、同じく「かもめが空を」がエンディング曲に採用される。1979年8月にはにっかつ映画『十八歳、海へ』(監督・藤田敏八、原作・中上健次)の主題歌、翌80年にはNHKアニメ『ニルスのふしぎな旅』(原作・セルマ・ラーゲルリョーブ)の主題歌のシングルを発表。後者では「ニルスのふしぎな旅〜楽しい歌と音楽集」というタイトルでアルバムも発表されている。

サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル[編集]

1981年、元GSメンバーが歌うGSソング集『GROUP SOUNDS GOODIES』をリリース。「花の首飾り」を再録音。同年、『ウエスタンカーニバル』が催されていた有楽町・日劇が取り壊されることになり、『サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル』が開催される。このステージにジャッキー吉川とブルー・コメッツスパイダースザ・ワイルドワンズザ・ジャガーズザ・カーナビーツなどのGSバンドと共にザ・タイガースも出演。加橋かつみ、沢田研二、森本太郎、岸部修三(現:岸部一徳)の4人がステージに立ち、往年のヒット曲を中心に9曲を演奏。岸部シローもゲスト出演している。瞳みのるは本人の意思により不参加。

十年ロマンス タイガース同窓会[編集]

1982年、タイガース同窓会としてリリースした、「十年ロマンス」、「色つきの女でいてくれよ」、「銀河旅行」がヒットチャートを上昇。 この時、加橋は4人のセンターに立ち、リードボーカルを務めている。新生タイガースとしてのニューアルバム『THE TIGERS 1982』には、加橋の作品が三曲収録されている。その中の1曲「生きてることは素敵さ」は同窓会記念コンサートでも歌われている。 リードボーカル曲以外でも、アルバム中盤の「野バラの誓い」では現役時ではあり得なかった岸部シローとのツインボーカルを務め、アルバムラストの「朝焼けのカンタータ」のサビでは、ザ・タイガース時代を彷彿させる、伸びのある高音のコーラスを聴くことができる。 同年、シングル「帰らない夏」、オリジナルアルバム『FAR AWAY』をリリース。『FAR AWAY』に収められた一曲、「風のコンチェルト」の歌詞の中にある「白い翼広げて夢を乗せて舞うよ」というフレーズでは、加橋かつみが想い描いていた世界が表現されている。

同窓会終了後に行われた加橋のアルバム『FAR AWAY』のレコーディングには ザ・タイガースの仲間もコーラスで参加し、加橋にエールを送っている。

タイガース・メモリアル・クラブ・バンド[編集]

1988年タイガース・メモリアル・クラブ・バンドを森本太郎、岸部シローらと結成。他GSグループのメンバーも参加し、GSナンバーを歌っている。

1993年、同じく森本太郎、岸部シローとザ・タイガースマニアを結成。「涙のロマンス」をリリース。

GSBV・LIVE HALL[編集]

2005年5月、池袋に「GSBV・LIVE HALL」をオープン。GS時代の楽曲を提供する大人向けのライブハウスを目指した。このライブハウスに飾られた鏡とシャンデリアは、加橋がタイガース在籍時に愛用していたものであった(3ヶ月間のステージを経て同年7月末クローズ)。

HAIR 1969 TOKYO LIVE[編集]

2010年6月、40年の時を越え、目黒の「BLUES ALLEY JAPAN」で『HAIR 1969 TOKYO LIVE 2010』を開催。 オリジナルメンバーが参加し、加橋かつみは、そのセンターに立って、40年振りに「Aquarius」を熱唱、当時を思い起こさせる感動的なライブとなった。

2010年12月、『ROCK MUSICAL HAIR TOKYO ORIGINAL CAST HAIR 1969 LIVE2010』が目黒 「Blue-s Alley Japan」にて再び開催。 予定されていた出演者に加えて海外でボランティア活動に従事する寺田が登場、会場を感動させた。観客の要望に応えて6ヶ月後の再演を公表。

2011年、6月1日・2日、『ROCK MUSICAL HAIR TOKYO ORIGINAL CAST HAIR 1969 LIVE 2011』が 目黒 「BLUES ALLEY JAPAN」で開催。 会場に訪れた、当時の『ヘアー』を知らない世代の観客に向けて、ミュージカルのストーリーとテーマを紹介。当時の音源も再現された。 ステージ中盤では ザ・タイガース時代のヒット曲「廃虚の鳩」、「花の首飾り」を歌唱。会場には元タイガースの岸部一徳が訪れ、ステージ終了後、談笑する姿がみられた。

2013年6月のライブで、会場のファンに2014年に『ROCK MUSICAL HAIR TOKYO ORIGINAL CAST HAIR 1969 LIVE 』を 再演することを告知している。

ザ・タイガース 2013 [編集]

2013年12月前期のオリジナルメンバーによるツアーが行われた。

12月3日 日本武道館、12月27日 東京ドーム、12月10日 福岡サンパレス、12月13日 名古屋センチュリーホール、12月17日 大阪京セラドーム、12月18日 長崎ブリックホール、12月20日 仙台サンプラザ、12月22日 札幌ニトリ文化ホールでの8公演。

バックバンドは使わず5人のメンバーによる演奏。2013年1月6日の正月ライブで沢田研二が、ステージからファンに向けてタイガース再結成を公表。4日後の1月10日に五反田のライブハウスロッキーでおこなわれた加橋のライブに、森本太郎が来場。森本が加橋のギターを借りて「ルート66」を歌唱、会場のリクエストに応えて森本曰く「ナンバ一番」以来となる二人による「Because」のデュエットがおこなわれた。2013年5月のライブにも森本は来場し「青い鳥」「ルート66」を歌唱している。加橋はこのツアーでグループの衣装を担当し、ザ・タイガース全盛期を彷彿させる衣装でファンを喜ばせた。

ツアーのステージでは、タイガース時代のヒット曲だけでなく、ビージーズ、ローリングストーンズ、ビートルズ等、かつて彼らがコピーした楽曲が演奏され、メンバー其々がMCを行い、ボーカルを担当した。アルバム『ヒューマン・ルネッサンス』の中からは「生命のカンタータ」「忘れかけた子守唄」が演奏されファンを感動させた。

加橋が初めてリードボーカルを担当し、ザ・タイガース最大のヒット曲となった「花の首飾り」が演奏された際、加橋の歌唱が始まると、会場のファンから拍手が贈られた。東京ドームでの最終公演には、岸部シローが車いすで登場し、ビートルズの「イエスタデイ」を歌唱。アンコールでは、かつてGSの頂点へと駆け上がった時代の「タイガースのテーマ」、加橋が脱退し、岸部シローが代わって参加した過渡期に発売された「美しき愛の掟」、加橋がザ・タイガースとして再びステージに立った1982タイガース同窓会のヒット曲「色つきの女でいてくれよ」が演奏され、ザ・タイガースの歴史を辿るような構成となった。最終の東京ドーム公演は、2014年1月24日NHK BSプレミアムで放送された。この東京ドーム公演の様子は、DVDに収められ発売されている。

参加メンバー

2014年6月現在と音楽活動[編集]

2012年11月 突発性難聴を発症 左耳の聴力は失われたままになっている。2013年12月全国8か所で行われたザ・タイガース再結成のステージでは、片耳の聴力を失っていることを感じさせない見事な演奏と歌唱を披露。GS全盛期を支えた実力をみせた。2014年1月以降は、ライブ活動に復帰している。

定例ライブ[編集]

  • 銀座タクト」定例ライブ 月1回 

タイガース時代からのファンに加え、若い層の新たなファンも来場。 元カーナビーツの2代目ボーカリストポール岡田と共に、GSナンバーやローリング・ストーンズ、ビートルズ等のカバーを披露。 ザ・タイガース時代を彷彿させるギタープレイと美しい高音のボーカルを聴くことができる。 ザ・タイガースのメンバー岸部一徳、人見豊、森本太郎が会場を訪れ談笑する姿もみられる。 2014年1月、ザ・タイガース再結成ツアー終了後、最初のライブ会場には若い世代の新たなファンが来場、サインを求める姿が見られた。

グループサウンズカーニバル[編集]

2002年7月以降『グループサウンズ・カーニバル』を開催(不定期)。 真木ひでと(元オックス)、三原綱木ジャッキー吉川とブルーコメッツ)、マモル・マヌーザ・ゴールデン・カップス)、今井久(元パープルシャドウズ)、植田 芳暁(ワイルドワンズ)、ポール 岡田(元カーナビーツ)と共にGSナンバーを演奏。往年のファンが詰めかけ、演奏を楽しんでいる。

Hit Song JAPAN 昭和 同窓会コンサート ~あの日に帰る歌がある~[編集]

GSだけでなく、フィンガー5、チェリッシュなど、60年代から70年代にかけてアイドルとして活躍したメンバーと共に、全国各地でコンサート活動を展開。 2009年7月~2012年2月は定期的に参加。その後は不定期となるが、2012年12月10日のコンサート以降、再び定期的に参加している。

その他のライブ活動[編集]

渋谷「クロコダイル」での、ポール岡田のソロライブ(3か月に一度の割合で開催)に参加、GS時代のヒット曲を聴くことができる。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

ザ・タイガース在籍期

  • 1967年 「僕のマリー/こっちを向いて」
  • 1967年 「シーサイド・バウンド/星のプリンス」
  • 1967年 「モナリザの微笑み/真っ赤なジャケット」
  • 1968年 「君だけに愛を/落葉の物語」
  • 1968年 「銀河のロマンス/花の首飾り」**(「花の首飾り」リードボーカル)
  • 1968年 「シー・シー・シー/白夜の騎士」
  • 1968年 「廃虚の鳩/光ある世界」**(「廃虚の鳩」リードボーカル)
  • 1968年 「青い鳥/ジンジン・バンバン」
  • 1969年 「美しき愛の掟/風は知らない」
    • 岸部シロー参加によるレコーディングが行なわれたが、レコード発売時に、加橋かつみ在籍時の音源に置き換えられた。

ソロ

  • 1970年 「花の世界/つばさ」
  • 1971年 「愛は突然に/風のささやき」
  • 1972年 「あの愛をもう一度/夕陽の空」
  • 1975年 「哀哭/古都の雨」
  • 1976年 「日盛り/星の地図」
  • 1977年 「愛は突然に/ひとり」
  • 1978年 「12時の讃歌/遠い夜の島」
  • 1979年 「18歳、海へ/夕陽を追って」
  • 1980年 「ニルスのふしぎな旅/いつまでも友達」
  • 1980年 「ワンダフル・アドベンチャー」(B面は加橋は唄ってない)
  • 1982年 「帰らない夏/FAR AWAY」 

タイガース同窓会

  • 1982年 「十年ロマンス/生きてることは素敵さ」**(「十年ロマンス」ツインボーカル 沢田研二/「生きてることは素敵さ」リードボーカル)
  • 1982年 「色つきの女でいてくれよ/BA-BA-BANG」**(「色つきの女でいてくれよ」リードボーカル)
  • 1982年 「銀河旅行/抱擁」

タイガースメモリアルクラブバンド

  • 1995年 「OH OH OH」Lリーグ公式テーマソング

タイガースマニア

  • 1993年 「涙のロマンス/夢の中へと連れて行く」

ザ・タイガース2013

  • 2013年 「ザ・夕イガースの White Christmas」(東日本大震災子ども支援金 チャリティ)


アルバム[編集]

ザ・タイガース在籍期

  • 1967年『THE TIGERS ON STAGE』
  • 1968年『世界はボクらを待っている』
  • 1968年『ヒューマン・ルネッサンス』
    • リードボーカル:「廃虚の鳩」「緑の丘」「帆のない小舟」
    • ツインボーカル:「730日目の朝」岸部おさみ(現:岸部一徳)/「忘れかけた子守唄」沢田研二

ソロ

  • 1969年『加橋かつみ・パリ1969』
  • 1970年『ヘアー』〜日本オリジナルキャストレコーディング
  • 1971年『加橋かつみ・1971・花』
  • 1972年『加橋かつみ・パリII』
  • 1975年『郷愁』
  • 1977年『青春の残像』
  • 1980年『ニルスのふしぎな旅』※4曲のみ参加
  • 1981年『GSグッディーズ』※1曲のみ参加
  • 1982年『FAR AWAY』

タイガース同窓会

  • 1982年『タイガース1982』
  • 1982年『銀河旅行』
  • 1982年『A-LIVE THE TIGERS』

タイガースメモリアルクラブバンド

  • 1988年『タイガース・メモリアルクラブバンド』
  • 1990年『タイガース・メモリアルクラブバンドII ぼくと、ぼくらの夏』
  • 1992年『ブルーシャトーを君だけに/GSが好きさ好きさ好きさ/懐かしきラブソング』
  • 2001年『OJPC物語2001』

ザ・タイガース2013

  • 2013年『THE TIGERS 1967-1968 RED DISC』
    • リードボーカル:「ホリデイ *LIVE ver.」「花の首飾り」「廃虚の鳩」
  • 2013年『THE TIGERS 1968-1971 BLUE DISC』
    • ツインボーカル:「730日目の朝」岸部おさみ(現:岸部一徳)
  • 2013年『ザ・タイガース フォーエヴァー DVD BOX -ライヴ&モア-』
    • 1968後楽園コンサート 1970田園コロシアム 1971ビューティフルコンサート テレビ出演映像 CM映像等を収録
  • DVD『THE TIGERS 2013 LIVE in TOKYO DOME』
    • 2013年12月前期オリジナルメンバーによるツアー千秋楽のステージ

映画[編集]

  • 1968年『世界はボクらを待っている』
  • 1968年『華やかなる招待』

舞台[編集]

  • 1969年 ロックミュージカル『ヘアー』主演
    • 脚本・作詞
      • ジェローム・ラグニ
      • ジェームス・ラド
    • 音楽
      • ガルト・マグダーモット
    • プロデューサー
      • ベルトランド・キャステリ
    • 演出
      • ジム・シャーマン
    • 音楽監督
      • ダニー・ハート
    • 専任プロデューサー
      • 川添象多郎
    • 制作
      • 寺川知男
    • 日本版歌詞翻訳
      • 川添象多郎
      • 加橋かつみ
      • 寺田 稔

著書[編集]

  • 1969年『イヴ』5000部限定版 イラスト集
  • 1976年『日盛りの街に出て』自伝

外部リンク[編集]