安岡力也

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安岡 力也(やすおか りきや、本名同じ、1947年7月19日 )は、日本俳優タレントロックヴォーカリスト。身長187cm、体重108kg。東京都港区生まれの埼玉県行田市育ち。

2001年以前は安岡力也名義[1]で活動していたが、離婚を機に姓のない芸名力也に改名したが2010年からは再び安岡力也名義で活動している。なお、俳優のRIKIYAとは別人である。

長良グループ所属

目次

[編集] 来歴

1964年に、東宝映画『自動車泥棒』に混血児の少年役で主演し、芸能界デビュー。その後、グループ・サウンズシャープ・ホークス」にボーカルとして参加し、1966年にはシングル『ついておいで』でキングレコードよりレコードデビューを果たす。同年末に発売したシングル『遠い渚』と翌1967年夏発売で新メンバーとしてジミー・レノンを加えレコーディングした『海へ帰ろう』がグループの代表曲となりザ・タイガースにとって最初のライバルグループとなる。

シャープ・ホークスと並行して一時期は、ヘビー級ミドル級キックボクサーをしており、4試合で3勝1敗の成績を残した。ただし相手は素人が多かったと自ら述べている[2]

1969年にグループ解散後は主に俳優として活動。映画会社の東映の撮影所では若山富三郎の派閥に属して、山城新伍の下についていた[3]

仕事を干されていた時期に梅宮辰夫に救ってもらい[4]、梅宮主演の『不良番長』シリーズにレギュラー出演し、以降、梅宮を兄貴分として信奉している。この映画の現場は台本を重視しない事で有名だったが、ある日ゲスト出演した地井武男が現場で台本を読んでいる姿を見て、梅宮に「兄貴。野郎、本読んでますぜ。締めちゃいましょうか?」と伝え、同じく出演していた山城新伍に「役者が台本読むのは当たり前やがな」と言われた。

1982年11月に、バラエティ番組オレたちひょうきん族』(フジテレビ)の1コーナーである「タケちゃんマン」に出演中、せりふの「ホラ貝」を「ホタテ貝」と言い間違えたことをきっかけに「ホタテマン」として出演[5]、共演していたビートたけしと仕事終わりには毎晩のように遊郭に行っていたという。

以降、1980年代からは、バラエティ番組にも進出。2001年春日井製菓コマーシャルで「黒飴マン」に扮した。近年[いつ?]Vシネマを中心に活躍中。

2004年頃、広島市長選挙に立候補した広島東洋カープ元監督の古葉竹識(当時はプロ野球マスターズリーグ監督で現在は東京国際大学野球部監督)の応援演説に登場したが、古葉は落選した。

2005年肝臓病で入院、一時復帰したが2006年6月下旬にギラン・バレー症候群罹患である疑いのため東京都内の病院に入院、同年7月から出演予定だった舞台を降板して、2008年時点では山梨県の病院でリハビリをしていた[6]。2009年8月にはキックボクシングのKICKGUTSの大会で公の場に姿を見せ、肩を借りて歩いている姿が目撃された[7]。この療養生活で、かつての100kg以上の強靱な肉体は、一時70kg台にまで激減したが、療養生活を終える頃には元の体格に戻っている。

2010年5月17日放送の『徹子の部屋』にリハビリ後の復帰初仕事として出演。復帰とともに芸名を安岡力也に戻した。同年8月30日から9月1日にかけて、肝細胞癌、C型肝硬変のため、日本赤十字社医療センターで長男の提供による生体肝移植手術を受けた[8]

[編集] 人物

  • 強面で、実際に上下関係に厳しかったりするが、シャレを理解しバラエティ番組などでイジられることを好む。
  • 祖父はシチリアンマフィアで、イタリア人の血が4分の1混じっていると自称している。
  • 映画『少林寺拳法』(1975年、東映東京)に出演をしたのがきっかけで始め少林寺拳法五段。テレビ番組で相手の回し蹴りに対し、「喧嘩じゃあ内側に回りこむこういう技がある」と、払い受け段突きを披露していた。
  • 稲川淳二は幼馴染[9]。当時は『ドラえもん』のジャイアンのび太のような関係だったという。二人が中学生になると一時疎遠になるが、芸能界入りした後にばったり再会し、以後交友が続いている[10]
  • 山中で生き残るというサバイバルゲームで、ヘビを食い、ヤギ獣姦し、またそれを自ら武勇伝のごとくテレビで語った経験あり。
  • 盟友・松田優作(松田が生前に病気のことを告白していたのは、撮影関係者では安岡のみである)の葬儀にて、「どっちが喧嘩強いんだろう、なんて話してた」と気丈にエピソードを語っていた安岡だったが、「もうどちらが強いか試す機会も無くなったのですね・・・」というインタビュアーの言葉に絶句、悔しそうにボロボロと涙を落とし「あいつとは喧嘩ももう出来ないんだよ・・・喧嘩も出来ねぇんだ・・・」と嗚咽した。
  • ヘビースモーカーとしても有名。ある番組で、催眠術の力で力也が煙草を吸えなくなるといった企画も行われた。大病を患ってから禁煙、禁酒を始めたと徹子の部屋で語った。
  • プロレスラー武藤敬司とも親交があり、『FIGHTING TV サムライ』の武藤の番組『プロレスの砦』(トーク番組)で対談をし、「いつか二人で何かをやりましょう」という熱い言葉を交わしていた。
  • ダウンタウンの番組にゲスト出演した際に、実兄は本物のヤクザで代紋を継いでいると告白している。
  • タレントのタージンが駆け出しの新人の頃に、よみうりテレビの『どんぶり5656』でレギュラー共演。気を使って下手に出ていた力也に、次第にタージンが増長し、あるときタージンが「力也ちゃん」と馴れ馴れしくと呼びかけたところ当人が突然激怒、タージンが小道具で使っていた笛[11]でタージンの頭部を殴って気絶させた。タージンはそれがきっかけで改心し、後に関西で有名タレントになる。『ナンバ壱番館』で、力也のビデオメッセージを見たタージンは脂汗をかいていた。
  • 全身にタトゥーを入れている。
  • 番組で一緒になったお笑いコンビ極楽とんぼ(当時)の楽屋に忍び込み、財布からお札を抜いているところを楽屋に戻ってきた加藤浩次に見つかってしまうが、ぼんやりとした態度で誤魔化して楽屋を出て行った。
  • 2004年5月頃、過去数度に渡る覚醒剤容疑で逮捕されているタレント清水健太郎が再び覚醒剤で逮捕された際に、知人のゴルフコンペの最中に報道陣からその事実を知らされた安岡は、「何っあいつまたやったのかよ。俺は前回(逮捕)の後にボコボコに締めてやったんだよ。今回という今回は許さねえぞ。」と傍らにいる梅宮辰夫と共に息巻いていた。

[編集] 出演作品

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

[編集] オリジナルビデオ

[編集] CM

[編集] 広告活動

[編集] 舞台

[編集] 脚注

  1. ^ 「安岡リキヤ」と表記していた時期もある。
  2. ^ 浅草キッド『濃厚民族』スコラマガジン、2003年、pp.99-103。浅草キッドとの対談より
  3. ^ 『濃厚民族』pp.112-113
  4. ^ 『濃厚民族』p.110。
  5. ^ 「オレたちひょうきん族クロニクル」『笑芸人』1999冬号VOL.1、高田文夫責任編集、白夜書房、1999年、p.38.
  6. ^ 「激ヤセ安岡力也は山梨の病院でリハビリ中」『週刊新潮』2008年6月5日号。
  7. ^ 吉田豪「新書評の星座」『ゴング格闘技』2009年10月号
  8. ^ [安岡力也、生体肝移植手術成功!医師8人がかりで42時間 安岡力也が生体肝移植 長男提供大手術] スポーツ報知.com 2010年9月2日
  9. ^ 『人間コク宝』p.137。
  10. ^ 東京スポーツ・2011年4月13日付 連載「息子へ」
  11. ^ 『さんまのまんま』でタージン自身が語っている

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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