前田利鎌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
画像外部リンク
芥川賞作家・諏訪哲史さんの推薦! 『禅と浪漫の哲学者・前田利鎌』|じんぶん堂”. じんぶん堂. 2023年7月1日閲覧。
NDLJP:1245708/7

前田 利鎌(まえだ とがま[1]1898年明治31年)1月22日 - 1931年昭和6年)1月17日[2])は、日本哲学者大正教養主義の時代に荘子スピノザニーチェなどを論じた。32歳の若さで病没した[3]。主著に『臨済・荘子』。

夏目漱石の末弟子[4]松岡譲の友人[1]。父は前田案山子。異母姉に前田卓宮崎槌宮崎滔天の妻)がいる。

生涯[編集]

1898年明治31年)熊本県玉名郡小天村にて、名士の前田案山子(当時70歳)と・林ハナの第2子として生まれ[4]戸籍上は正妻・キヨとの第9子(末子)となる[2]

利鎌誕生の1年前、夏目漱石が前田家を訪れ、前田家がモデルとして登場する小説草枕』の着想を得ていた[4]。漱石はその後も数度来訪し、前田卓に抱かれた赤子の利鎌を、漱石が撫でたこともあった[4]

1904年(明治37年)案山子が没すると前田家は没落しはじめ、貧困と転居生活のなかで少年期を過ごす[5]。熊本の小天小学校から東京の富士見小学校金富小学校に転校後、郁文館中学に入学[2]。中学時代の1914年大正3年)、卓に連れられ漱石と再会する[2][4]

1915年(大正4年)第一高等学校に入学[2]。同年、卓の養子となる(当時利鎌17歳・卓47歳で、中国同盟会黄興が提案した縁組だった)[5]1916年(大正5年)4月から、漱石の末弟子となり木曜会等に参加[4]。同年12月に漱石が没した後も漱石山房に通い、漱石の蔵書を耽読したり夏目鏡子伸六ら遺族と親交したりする[4]

1919年(大正8年)東京帝大文学部哲学科に進学[6]卒業論文ファウストの哲学的考察』は、桑木厳翼から公刊を提案されるほど賞賛された[7]

一高時代から帝大時代、先輩かつ漱石兄弟子の松岡譲と友人になり、二人で富士登山したり『カンディード』の共訳を試みたりする[1]。また松岡を介して居士禅者の下川芳太郎岡夢堂と出会い、禅に傾倒しはじめる[6]。また帝大時代、家庭教師先の平塚孝子平塚らいてうの姉で大本信徒の既婚者)と親交し、不倫に近い関係となる[8]。また剣道謡曲も嗜んでいた[2]

1922年(大正11年)東京帝大卒業[2]。同年から東京高等工業学校(現・東京工業大学講師となり、1924年(大正13年)から東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)講師を兼任[2]1925年(大正14年)から、著作活動や、他大生も参加する自宅での哲学講義、埼玉県平林寺峰尾大休のもとでの参禅を始める[3]1930年昭和5年)東工大専任教授となる[2]1931年(昭和6年)、腸チフスにより急逝、享年32[3]

思想・評価[編集]

臨済荘子スピノザニーチェをはじめとする古今東西の思想家・宗教家から[1]ゲーテファウスト[7]マルクス主義まで広範に論じている[3]。利鎌が活動した時代は、大正教養主義大正ロマンの時代であると同時に、藤村操芥川龍之介自殺に象徴される近代不安や、西洋東洋の文化的対立が問題になっている時代だった[9][10]。利鎌はその中で、臨済や荘子に真の「自由」すなわち「自らに由って立つ」確固とした自我を見出した[7][11]。禅への傾倒は、師の夏目漱石や同時代の西田幾多郎と同様だが、著作中に二人への言及はない[6]

白川静[12]入矢義高[13][14]福永光司[15][6]秋月龍珉[16]らが、利鎌の著作を高く評価している。

著作[編集]

  • 『没落』
  • 『臨済・荘子』大雄閣、初版1929年
  • 『宗教的人間』岩波書店、初版1932年
    • 没後刊行の著作集。松岡譲編集[7]。『臨済・荘子』を含む。当時ベストセラーとなり度々復刊された[19]。新版:雪華社、1979年

家族[編集]

  • 父 - 案山子
  • 実母 - ハナ
  • 戸籍上の母1 - キヨ
  • 戸籍上の母2かつ異母姉 -
  • 異母姉 -
  • 実兄 - 覚之助

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 安住 2022, 一 はじめに.
  2. ^ a b c d e f g h i 安住 2022, 年譜.
  3. ^ a b c d 安住 2022, 十二 利鎌と孝子のその後、そして利鎌の最期.
  4. ^ a b c d e f g 安住 2022, 三 前田利鎌‐漱石‐前田卓.
  5. ^ a b 安住 2022, 四 前田家の崩壊と利鎌の生いたち 『没落』の背景.
  6. ^ a b c d 安住 2022, 六 前田利鎌と禅との出会い.
  7. ^ a b c d 安住 2022, 五 『宗教的人間』.
  8. ^ 安住 2022, 七 平塚孝子という女性.
  9. ^ 入矢 1990, p. 251.
  10. ^ 安住 2022, 九 日本の近代の明暗.
  11. ^ 飯島 2021, p. 116.
  12. ^ 飯島 2021, p. 143f.
  13. ^ 入矢 1990, p. 255.
  14. ^ 飯島 2021, p. 145.
  15. ^ 飯島 2021, p. 147.
  16. ^ 『宗教的人間』雪華社、1970年。解説。NDLJP:12291112/173
  17. ^ 安住 2022, 十 大本教.
  18. ^ 『真理 3(8)』NDLJP:2315626/39
  19. ^ 入矢 1990, p. 253.

参考文献[編集]

  • 安住恭子『禅と浪漫の哲学者・前田利鎌 大正時代にみる愛と宗教』(電子書籍版)白水社、2022年。ISBN 9784560455357 (紙版は2021年)
  • 入矢義高「解説」『臨済・荘子』岩波書店岩波文庫〉、1990年。ISBN 9784003317914 
  • 飯島孝良『語られ続ける一休像 戦後思想史からみる禅文化の諸相』ぺりかん社、2021年。ISBN 9784831515940 

外部リンク[編集]