利根型重巡洋艦
| 利根型重巡洋艦 | |
|---|---|
| 艦級概観 | |
| 艦種 | 重巡洋艦 |
| 艦名 | 川の名 |
| 前型 | 最上型重巡洋艦 |
| 次型 | 伊吹型重巡洋艦 |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 基準:11,213t 公試:13,320t |
| 全長 | 201.6m |
| 全幅 | 19.4m |
| 吃水 | 6.23m (公試) |
| 機関 | ロ号艦本式缶8基 艦本式タービン4基4軸 152,000馬力(計画) |
| 最大速力 | 35kt (計画) |
| 航続距離 | 18ktで8,000浬 |
| 燃料 | 2,690t |
| 乗員 | 874名 |
| 武装 | 50口径三年式20.3cm連装砲4基8門 40口径八九式12.7cm連装高角砲4基8門 九六式25mm連装機銃6基12挺 13mm連装機銃2基4挺 九〇式61cm3連装魚雷発射管4基 |
| 装甲 | 舷側:145mm 甲板:35mm |
| 航空機 | 水上機6機 (呉式2号射出機2基) |
利根型重巡洋艦(とねがたじゅうじゅんようかん)は大日本帝国海軍の重巡洋艦。同型艦は2隻。太平洋戦争直前に竣工している。水上偵察機を6機搭載するなど航空索敵能力を重視し、ミッドウェー海戦やレイテ沖海戦など、数々の大規模海戦に参加した。福井静夫は本型を理想に近い巡洋艦と評している[1]。
目次 |
概要 [編集]
日本海軍は航空索敵手段として水上機も重視しており、巡洋艦に水上偵察機を搭載することに熱心に取り組んだ。だがアメリカの巡洋艦は日本のそれを上回り、4機の水上機を搭載可能であった。そこで1934年から最上型軽巡洋艦を改良した軽巡洋艦として本型の設計が開始された。主砲の門数を妥協した代わりに、水上機搭載数を一挙に6機に増やし、アメリカ巡洋艦を凌駕する事を狙った。
計画開始時が軽巡洋艦であったために、艦名も川にちなんだものとなっている。1935年に起工した段階ではロンドン海軍軍縮会議の制限があったため、諸外国には「基準排水量8,636トン、水線全長187.21m、喫水4.42m、最大口径砲15.5cm砲」という要目の巡洋艦と通告した[2][3]。1936年に軍縮条約から脱退したことで重巡洋艦の保有制限が失効し、建造途中で15.5cm砲搭載の軽巡洋艦から、日本軍重巡洋艦の共通武装である50口径三年式20.3cm連装砲を搭載した重巡洋艦へ設計変更された。また艦が完成する前に第四艦隊事件と友鶴事件が発生したため、急遽船体構造の見直しと強化が行われた。こうした諸処の設計変更と船体強化などにより、設計当初より排水量の増加と若干の速力低下があった。「利根」は1938年11月に、「筑摩」は1939年5月に就役した。なお、「利根」に搭載予定の15.5cm砲塔は1939年2月に特務艦「知床」によって呉工廠から長崎造船所へ運ばれたという[4]。
艦の特徴は、20.3cm連装砲塔4基を艦の前部に集中配置し、艦の後部は航空艤装となっていることにある。後部甲板はフラットではなく、階段状となっていた。この配置によって主砲と艦載機の位置が離れたため、艦載機が主砲の爆風で破損する危険性がなくなり、常に主砲を発射できるようになった。本級以前の日本重巡洋艦では、主砲と艦載機の待機位置が接近していたため、爆風で艦載機が破壊される危険性が常に存在した。実際に妙高型重巡洋艦「妙高」はスラバヤ沖海戦で、高雄型重巡洋艦「高雄」は駆逐艦「ピルズバリー」を撃沈した際に、それぞれ射出を待っていた艦載機を4番主砲の爆風で破壊してしまった。計画では航空機6機搭載可能だが、実際に搭載した数はそれよりも少ない。戦前は三座水偵2機、二座水偵4機、1940年に三座水偵1機、二座3機、レイテ沖海戦時には零式水上偵察機5機だった[5]。
本型側面写真からもわかるように、砲塔は第2砲塔のみ一段高くなっており、第1・第3・第4砲塔は同レベルにある。第3・第4砲塔は後方に向けられている。砲の集中配置は、集中防御などの利点もあるが、重量配分上は不利な面もあった。また「利根」二代目艦長大西新蔵によれば利根型の主砲散布界は大きすぎて命中率が悪く、遠距離砲戦の場合、砲術長はお手上げだったという[6]。しかし、研究の結果、並んで飛んでいく2つの砲弾の相互干渉が原因と判明した。そこで、一斉打ち方の際は左右両砲の発砲電路が0.03秒という微小な間隔で接続されるように改正され、この問題はまもなく解消した。[7]。
同型艦 [編集]
脚注 [編集]
参考文献 [編集]
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- Ref.C05110625500「第5275号 9.12.14 利根」
- Ref.C05110626300「第171号の13 10.10.18 筑摩」
- Ref.C05110811800「第434号 12.1.26 軍艦最上.三隈.鈴谷.熊野.利根.筑摩補助機械共通予備品製造の件」
- Ref.C06092486400「第2837号の3 12.10.12 軍艦利根15糎5砲塔特務艦便にて輸送の件」
- Ref.C08030037100「昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(6)」
- 雑誌「丸」編集部『写真集・日本の重巡「古鷹」から「筑摩」まで全18隻の全て』(光人社、1972)
- 福井静夫「設計資料から見た日本重巡洋艦史 世界を凌駕したといわれるその性能はどこから生まれたか」
- 大西新蔵 『海軍生活放談 日記と共に六十五年』 原書房、1979年6月。
- 重巡利根型 軽巡香取型 丸スペシャルNo.44、潮書房、1980年
- 雑誌「丸」編集部『丸スペシャルNo122 重巡最上型/利根型』(潮書房、1987年)
- 利根型重巡 [歴史群像]太平洋戦史シリーズVol.47、学習研究社、2004年
- 写真集日本海軍艦艇ハンドブック、PHP文庫、2001年
関連項目 [編集]
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