出羽湊秀一
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出羽湊 秀一(でわみなと しゅういち、1923年4月14日 - 1979年9月16日)は、青森県中津軽郡岩木町(現弘前市)出身で1950年代に活躍した大相撲力士である。本名は川田秀一。最高位は東前頭筆頭(1956年1月場所)。引退後は年寄藤島として後進の指導と、相撲協会の発展に尽くした。
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[編集] 来歴
1940年5月場所に出羽海部屋から初土俵を踏んだが、幕下に昇進したところで兵役のために長く土俵を離れたため、新十両は1949年5月場所と、時間がかかった。十両も長く、新入幕の1953年5月場所には、すでに30歳に達していた。それでも、その後、けたぐりなどの技を武器にして、幕内を連続20場所保った。その間、1955年9月場所には大関大内山を、1956年3月場所には大関松登を破る殊勲の星をあげている。
1958年9月場所限りで現役を引退、年寄藤島を襲名して、出羽海部屋付の年寄として長く勝負審判などをつとめ、相撲協会の業務にも実績をあげた。
[編集] 主な成績
- 幕内在位 20場所
- 幕内成績 135勝148敗17休
[編集] 四股名変遷
- 川田 秀一(かわだ しゅういち)1940年5月場所 - 1948年5月場所
- 出羽竜 秀一(でわりゅう -)1948年10月場所
- 岩木山 秀一(いわきやま -)1949年1月場所
- 出羽港 秀一(でわみなと -)1949年5月場所
- 出羽湊 秀一(でわみなと -)1949年10月場所 - 1958年9月場所