出浦盛清

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出浦 盛清(いでうら もりきよ、天文15年(1546年) - 元和9年(1623年))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、忍者真田氏の家臣。対馬守。信濃国埴科郡坂城町出浦の生まれ。

活躍[編集]

甲斐の武田家治下で、甲州透破の支配者。敵城へ配下の透破を潜入させる際、それより先に、自分が忍びに入って探索し、配下の透破の報告の正確度を確認するほどベテランだった。武田氏滅亡後は森長可に属し、本能寺の変の後、長可が海津城から撤退を図った際には、長可配下の信濃国衆たちはほぼ全員が長可を裏切ったが、盛清は唯一撤退に協力した。長可は深く感謝し、別れる際に脇差を与えた。その後、天正11年(1583年)から真田昌幸真田信之に仕え更級郡上平城主を務めた。横谷左近とともに吾妻忍び衆を統率して活躍。天正18年(1590年)6月、北条方が守る忍城攻めでも奮戦した。