内之倉隆志

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内之倉 隆志
2013年7月7日
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県鹿児島市
生年月日 (1972-04-30) 1972年4月30日(51歳)
身長
体重
179 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手内野手
プロ入り 1990年 ドラフト2位
初出場 1991年4月9日
最終出場 2002年9月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

内之倉 隆志(うちのくら たかし、1972年4月30日 - )は、鹿児島県鹿児島市[1]出身の元プロ野球選手捕手内野手)。右投右打。現在は、福岡ソフトバンクホークスブルペン捕手

来歴・人物[編集]

鹿児島実業高時代は、1990年春の第62回選抜と同年夏の第72回選手権と連続で甲子園に出場し、主に4番・三塁手を務めていた[1]。春1本、夏3本の本塁打を放つ活躍を見せるなど、高校通算39本塁打を放つスラッガーとして注目される。

1990年度プロ野球ドラフト会議にて広島東洋カープ近鉄バファローズ福岡ダイエーホークスの3球団の競合の末、福岡ダイエーホークスから2位指名を受け、入団[1]

1991年シーズンから一軍出場を果たす。1992年シーズンは1A・サリナス・スパーズにて野球留学。

当時の有本義明二軍監督により強肩が着目され[2]、3年目のシーズン途中からプロ入り後としては珍しく内野手から捕手コンバートされた。同年のシーズンオフには背番号も9を新入団の小久保裕紀に譲り、30へ変わったがその後も故障者の穴を埋める形で捕手だけでなく元々の守備位置だった内野手(主に一塁手、三塁手)としての一軍公式戦出場があった。

プロに入ってからは持ち前の打撃は影を潜め、本塁打は1998年シーズンの2本のみ。

2002年シーズンオフには陳文賓とのトレードによる台湾への移籍話が持ち上がったもののこれを拒否し、現役を引退[1]

引退後も球団に残り、2003年からはブルペン捕手を務める[1]

名前の「隆志」の「隆」は郷土の名士である西郷隆盛から拝借し、名づけられた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1991 ダイエー 7 8 8 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .250 .250 .250 .500
1996 10 13 12 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .250 .308 .250 .558
1998 64 149 130 9 30 2 0 2 38 9 0 0 3 0 16 0 0 36 1 .231 .315 .292 .607
1999 12 11 10 1 2 2 0 0 4 0 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .200 .273 .400 .673
2001 17 19 17 0 3 1 0 0 4 2 0 0 0 0 2 0 0 5 0 .176 .263 .235 .498
2002 8 8 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 1 .000 .000 .000 .000
通算:6年 118 208 185 12 40 5 0 2 51 11 0 0 3 0 20 0 0 54 2 .216 .293 .276 .568

年度別守備成績[編集]

年度 試合数 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1996 2 0 0 0 .000
1998 46 41 31 10 .244
1999 9 2 2 0 .000
2001 11 3 2 1 .333
2002 6 3 3 0 .000
通算 74 49 38 11 .224

記録[編集]

背番号[編集]

  • 9 (1991年 - 1993年)
  • 30 (1994年 - 2002年)
  • 117 (2003年 - ) ※ブルペン捕手

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、83ページ
  2. ^ 異色の経歴、元新聞記者のプロ野球2軍監督が今語る 「甲子園のスター」人生変えたコンバート秘話 - 西日本スポーツ、2020年5月15日、11:55配信。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]