八綱田

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歌川国芳『日本百将伝』より八綱田の想像図

八綱田(やつなた[1])は、『日本書紀』等に伝わる古代日本皇族(王族)。

豊城入彦命崇神天皇皇子)の子で、上毛野君の遠祖。『日本書紀』では「八綱田」「倭日向武日向彦八綱田(やまとひむかたけひむかひこやつなた)」、他文献では「八綱多命」等とも表記される。

記録[編集]

日本書紀』には「上毛野君遠祖」とあるのみで系譜の記載はないが、『新撰姓氏録』によると豊城入彦命崇神天皇皇子)の子であるという。

『日本書紀』垂仁天皇5年10月条によると、八綱田は狭穂彦王の反乱の際に将軍に任じられ、狭穂彦王の築いた稲城の攻撃を命じられた。八綱田は稲城に火をかけて焼き払い、狭穂彦王を自殺に追い込んだ。この功により「倭日向武日向彦八綱田」の号が授けられたという。

後裔氏族[編集]

新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。

  • 皇別
    • 和泉国 登美首 - 豊城入彦命男の倭日向建日向八綱田命の後。
    • 和泉国 軽部 - 倭日向建日向八綱田命の後。雄略天皇御世、加里の郷を献上し軽部君の姓を賜った。
  • 未定雑姓
    • 摂津国 我孫 - 豊城入彦命男の八綱多命の後。
    • 和泉国 我孫公 - 豊城入彦命男の倭日向建日向八綱田命の後。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 「八綱田」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588 

関連項目[編集]