入唐求法巡礼行記

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入唐求法巡禮行記
著者 円仁
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入唐求法巡礼行記』(にっとうぐほうじゅんれいこうき、旧字体入唐求法巡禮行記)とは、9世紀の日本人僧で、最後の遣唐使(承和)における入唐請益僧である円仁旅行記である。

その記述内容は、円仁がちょうど遭遇してしまった、武宗による会昌の廃仏の状況を記録した同時代史料として注目される。また、正史には見られない、9世紀の中国の社会・風習についての記述も多く、晩唐の歴史研究をする上での貴重な史料として高く評価される。円仁は最澄に師事した天台僧で、のちに山門派の祖となる。

838年承和5年)、博多津を出港した場面から始まり、揚州へ向かい、847年に帰国するまでを記述する。日記式の文体で書かれる。

沿革[編集]

入宋した僧成尋が北宋皇帝に進上している。

その後所在が忘れられていたが、明治に入って写本が東寺で再発見された。1955年には、駐日アメリカ合衆国大使でもあったエドウィン・O・ライシャワーが英訳して紹介し、各国語に翻訳されて広く知られる所となる。

内容[編集]

構成[編集]

全4巻、文量は7万字。

原本は失われた。1291(正応4)年に京都祇園の長楽寺の兼胤という僧が72歳の時に書写した東寺観智院旧蔵本が最古の写本である。70歳を越えた老僧が老眼鏡もない時代に苦労して書写した写本であり、解読に困難な文字が少なくない。兼胤の書写本は1952年に国宝指定され現在は岐阜県の法人が所有している。

  • 巻一 承和5年(838年)6月13日[1] - 開成4年(839年)4月18日
  • 巻二 開成4年(839年)4月19日 - 開成5年(840年)5月16日
  • 巻三 開成5年(840年)5月28日 - 会昌3年(843年)5月26日
  • 巻四 会昌3年(843年)6月3日 - 承和14年(847年)12月14日条

日本語訳[編集]

  • 『入唐求法巡礼行記』 足立喜六訳注、塩入良道補注・解説、平凡社東洋文庫〉全2巻(訳文は文語体)、オンデマンド版・Kindle版も刊
  • 『入唐求法巡礼行記』 深谷憲一訳、中央公論社〈中公文庫〉。原文と現代語訳
  • 堀一郎訳 『古典日本文学全集15 仏教文学集』 筑摩書房。数十頁の現代語抜粋訳
  • 木内堯央訳 『最澄・円仁 大乗仏典 中国・日本篇 第17巻』 中央公論社。数十頁の現代語抜粋訳

文献[編集]

  • 小野勝年 『入唐求法巡礼行記の研究』(法藏館(全4巻)、新版1989年、2014年)- 大部の研究書
  • 壬生台舜 『叡山の新風-山家学生式「最澄」、入唐求法巡礼行記「円仁」 日本の仏教3』(筑摩書房、1967年)
  • エドウィン・ライシャワー 『円仁 唐代中国への旅 「入唐求法巡礼行記」の研究』
    田村完誓訳、講談社学術文庫、1999年/元版は、実業之日本社原書房
  • 阿南ヴァージニア・史代[2] 『円仁慈覚大師の足跡を訪ねて 今よみがえる唐代中国の旅』
    小池晴子訳、ランダムハウス講談社、2007年
  • 松原哲明 『マルコ・ポーロを超えた男 慈覚大師円仁の旅』 写真・福島一嘉、佼成出版社、1993年
  • 玉城妙子 『円仁求法の旅』 講談社、2000年
  • 佐伯有清 『最後の遣唐使』 講談社現代新書、1978年/講談社学術文庫、2007年 
  • 斎藤円真(齋藤圓眞)『天台入唐入宋僧の事跡研究』 山喜房仏書林、2006年 
    • 『渡海天台僧の史的研究』 山喜房仏書林、2010年 - 各・学術研究の大著
  • 『円仁とその時代』 鈴木靖民編、高志書院、2009年 - 関連論考は第2章

脚注[編集]

  1. ^ 《入唐求法巡禮行記/卷一》:“承和五年。六月十三日午時。第一第四兩舶。”
  2. ^ 著者は阿南惟茂夫人、ライシャワー門下、中国語版も同時刊行

関連項目[編集]