光本幸子

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みつもと さちこ
光本 幸子
本名 深谷 幸子(ふかや さちこ)
別名義 藤間勘十紫
生年月日 (1943-08-25) 1943年8月25日
没年月日 (2013-02-22) 2013年2月22日(69歳没)
出生地 日本の旗 日本東京都
出身地 日本の旗 日本東京都
死没地 日本の旗 日本東京都台東区
血液型 B型
職業 女優
ジャンル 舞台テレビ番組映画
配偶者 なし(離婚歴あり)
主な作品
テレビドラマ
必殺仕事人・激突!
鬼平犯科帳
映画
男はつらいよ
シベリア超特急2』
隠し剣 鬼の爪
 
受賞
第22回菊田一夫演劇賞
第11回日本映画批評大賞 ゴールデン・グローリー賞
備考
日本舞踊藤間流名取 藤間勘十紫
清元 清元栄美幸
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光本 幸子(みつもと さちこ、1943年8月25日 - 2013年2月22日)は、日本の女優。身長162cm。

来歴[編集]

東京都出身。上野学園高等学校音楽科を1962年に卒業。幼年より舞踊家六代目藤間勘十郎に師事。勘十郎と親交のあった初代水谷八重子の目に留まり新派入りし、明治座の舞台『望郷の歌』(1955年)にて子役デビュー。

1969年、『男はつらいよ』初代マドンナ・冬子役に起用され、映画初出演。

結婚(明治座社長と結婚するも、28年後に離婚)・育児による休業を挟むも、1984年5月に舞台『陽暉楼』(新橋演舞場)で復帰。

復帰後は舞台を中心とした活動だったが、テレビドラマや映画に時折出演していた。復帰後の一時期、光本采雉子と改名していた。

趣味は温泉旅行と食べ歩き。

日本舞踊藤間流勘十郎派の名取であり、藤間勘十紫の別名を持っていた。

寅さん記念館で開かれた渥美清の法要には2002年の7回忌、2008年の13回忌、2012年の17回忌共に参加している。

2013年2月22日食道癌の為に東京都台東区内の病院にて死去[1]。69歳だった。前年12月15日に都内の映画館「銀座シネパトス」で行われた『男はつらいよ』のトークショーに出演したのが最後の公の場だった[2]。戒名は「麗光院演妙真幸大姉(れいこういんえんみょうしんこうだいし)」[3]。『男はつらいよ』の監督・山田洋次は、「劇団新派で鍛えられた演技力の確かさと、背筋の通った凜とした美しさは、その後48作続くことになったシリーズの初代マドンナにふさわしいものでした。本当に残念です」とコメントした[4]

出演作品[編集]

舞台[編集]

  • 「伊豆の踊子」(川端康成原作、北条誠脚本、新橋演舞場、1957年)
  • 「維新の若人」(東京明治座、1967年)
  • 「新納(にいろ)鶴千代」(明治座、1969年) ‐菊姫
  • 「細雪」(谷崎潤一郎原作、菊田一夫脚本、御園座、1970年) - 雪子
  • 忠臣蔵異聞 薄桜記」(東京明治座、1971年) - 千春
  • 「大岡政談 魔像」(東京明治座、1972年) - お弦
  • 「雪国」(川端康成原作、1973年) - 駒子
  • 独り芝居「あこがれいずる魂」〜六条御息所物語〜 藤田舞台(2006年)
  • 「ほろほろ」本多劇場(2006年)
  • 独り芝居「あこがれいずる魂」〜六条御息所物語〜 銕仙会能楽研修所(2006年)
  • 忠臣蔵外伝「その前夜」三越劇場(2006年)
  • 「売らいでか -亭主売ります-」梅田芸術劇場(2007年)
  • 独り芝居「あこがれいずる魂」〜六条御息所物語〜 祝言寺本堂(2008年)
  • 詠み語り「おっ母、すまねえ」お江戸日本橋亭(2008年)
  • 藤沢周平劇場「山桜」「時雨みち」劇団若獅子公演 三越劇場(2008年)
  • PRODUCE UNIT JOE Company 8 『THE KIDS』(2010年8月25-29日、本多劇場

テレビ[編集]

映画[編集]

受賞歴[編集]

  • 第22回菊田一夫演劇賞(平成8年度新橋演舞場新派公演にて受賞)(1996年)
  • 第11回日本映画批評大賞 ゴールデン・グローリー賞(2001年)

脚注[編集]

外部リンク[編集]