光明池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
光明池(こうみょういけ)は、大阪府にあるため池。和泉市と堺市南区に跨る。
目次 |
[編集] 概要
1936年(昭和11年)に灌漑用ため池として整備された。満水時の貯水量は約370万立方メートルで府下最大[1]。満水面積は約36haで、大阪府下では岸和田市の久米田池、大阪狭山市の狭山池に次ぐ広さである。
堤防は2箇所あり、北側の本堤防は高さ約26m、長さ約350m、南西側の副堤防は高さ約18m、長さ約130mある。水深は最深部で約20mある。最盛期には約1,700haの灌漑を担ったが、減反政策等により現在の灌漑面積は約300ha程度。上水道の水源としても利用されている。
周囲は「光明池緑地」として整備されており、遊歩道、体育館、屋外運動施設などがある。光明池緑地は近隣住民には「野鳥の森」とも呼ばれており、野鳥が多く見られる。
池の南西畔から副堤防・本堤防を経て東畔にいたる遊歩道や、池の南側をU字型に囲むように整備されている遊歩道は散歩コースとして多数の近隣住民に利用されている(ただし、この二つの遊歩道は直接繋がってはいないので、遊歩道のみを利用して池全体を周回することはできない)。
池には両岸を結ぶ長さ157.6mのアーチ状のつり橋「光明池大橋」がかかっている。1989年には「大阪みどりの百選」に選定された。また、2009年には「大阪ミュージアム」にも登録された。
[編集] 名称の由来
光明池は、和泉市国分町において槇尾川に取水堰を設け、そこから水をひいている。国分町にある和泉国の国分寺で光明皇后が誕生したという伝説にちなんで光明池と名づけられた。ちなみに、夫の聖武天皇および異父兄の橘諸兄は久米田池の築造に尽力のあった人物でもある。
[編集] 歴史
- 大正期~昭和初期 泉州地域で旱魃(かんばつ)が発生したとされる。石津川 - 槇尾川間に位置する町村への農業用灌漑用溜池として、光明池の建設が計画される。
- 1928年(昭和3年) 大阪府知事により、「泉北耕地整理組合」設立と工事施工が認可される。
- 1931年(昭和6年) 大阪府営事業として光明池建設事業がはじまる。
- 1936年(昭和11年) 光明池完成。
- 1950年(昭和25年) 泉北耕地整理組合が「光明池土地改良区」に組織改編される。
- 1977年(昭和52年)~1985年(昭和60年) 本堤防が改修される。
- 1984年(昭和59年) 本堤防改修に合わせ、光明池守護神社(光明池築造時に造営されたと見られる)が再建築造される。
- 1989年(平成元年) 大阪みどりの百選に選定される。
- 2005年(平成17年) 光明池守護神社の神殿改修が行われる。
- 2007年(平成19年)~ 副堤防が改修中。
- 2009年(平成21年) 大阪ミュージアムの展示物として登録される。
[編集] 関連項目
- 光明池駅
- 泉北ニュータウン光明池地区
- 堺市南区赤坂台、新檜尾台、鴨谷台、城山台および和泉市伏屋町、室堂町(和泉市は一部地域)
- 光明池運転免許試験場
- 大阪府立母子保健総合医療センター
- 大阪障害者職業能力開発校
- 光明池自動車教習所
- 和泉市立光明台中学校
- 和泉市立光明台南小学校
- 和泉市立光明台北小学校