働かない権利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

働かない権利(はたらかないけんり)とは、障害者などが障害病気などの状態悪化を防ぐため、または障害などが重度で勤労がほぼ不可能な者があえて勤労を避けることを求める、または他人から精神的な手段などで勤労を強要されることを拒否することで平穏に暮らしていく権利があると主張する自己決定権思想である。障害者分野の反社会復帰とセットになって語られることが多い。

  • 精神障害分野においては、作業をすることを前提としない福祉施設(居場所)が登場しており、問題は解消されている(後述)。
  • 障害者分野における人権問題であり、本人に障害や病気が見つかっていない場合の引きこもりニートの分野は除かれる。
  • 障害者による国家や社会への生存権の要求であり、アナキズム(国家や宗教など一切の政治的権威と権力を否定し、自由な諸個人の合意のもとに個人の自由が重視される社会を運営していくことを理想とする思想[1][2][3])ではない。

概要[編集]

本人が生存するために消費が必要であり、そのために生産が必要であり、労働は必要であるが、本人が働くため、働けるようになるために本人が要するコスト、それによって結果がどれほどのものになるか、この両方を見た場合に、本人に対して害が大きいことがある[4]。この場合、自ら労働を避け、他人から精神的な手段などで労働を強要されることを拒否することで社会で生存していく権利(生存権)があるということを一部の障害者が主張している自己決定権思想である。 精神障害者患者会のうちかつてあった「精神病」者グループごかいが中心となって一部の精神障害者やその患者会による独自の造語である[5]

労働とは、資本主義社会では、労働は倫理的性格の活動ではなく、労働者の生存を維持するためにやむをえなく行われる苦痛に満ちたものである[6]新古典派経済学[7]。意外に思われるが共産主義社会でも同じである[8]

アメリカ哲学者ハンナ・アーレントも著書『人間の条件(1958年)』にて、労働(Labor)とは人間が動物の一種として、生命や生活の維持のために必要に迫られて行うような作業のことをいい、生み出される生産物消費されるものであり、永続性を持たない特徴があるとしている。永続性のあるものは、道具や作品を創作するもの(「仕事(Work)」という)、政治芸術のような社会歴史を形成する表現行為(「活動(Action)」という)をいう[9]

日本憲法に規定されている勤労については、後述する日本国憲法の勤労の義務規定を参照されたい。

歴史[編集]

西洋における労働[編集]

古代[編集]

古代ギリシアでは労働は奴隷のすることであって[10]ポリスに暮らす人々からは軽蔑されていたという。生きる必要に迫られてする労働は動物的なレベルに留まるものだと考えられていたからである[11]

旧約聖書の記述[編集]

旧約聖書においてはとの扱いで、創世記第3章19節アダムに科した罰であるとされている[12][13]

第3章19節:(省略)あなたが大地に戻るまで、あなたは顔に汗して、食物を得ることになろう。(以下略)[13]

新約聖書の記述[編集]

山上の垂訓
カール・ハインリッヒ・ブロッホ

新約聖書ではマタイによる福音書(マタイ伝とも呼ばれている)第6章28節から29節にはイエス・キリスト山上の垂訓(山上の説教とも)で怠惰について説いていることが記述されている[14]

テサロニケの信徒への手紙二」という使徒パウロ[注釈 1]のテサロニケ教会[注釈 2]へ送った手紙のなかの3章10節に「働きたくないものは食べてはならない」との一節がある。ここで書かれている「働きたくないもの」つまり「怠惰なもの」とは、働きたくても働くことができないで人の世話になっているといった、やむを得ない生活をしている人のことではなく、正当で有用な仕事に携わって働く意志をもたず、拒んでいる者のことである[16][注釈 3][注釈 4]

中世から近世[編集]

キリスト教宗教改革16世紀)以前は、貧しい人を救う役目はキリスト教会の役割[注釈 5]であったが、宗教改革はこれを一変させた。マルティン・ルター1520年に発表した『ドイツ貴族に与える書』で「怠惰と貪欲は許されざる罪」であり、怠惰の原因として物乞いを排斥し、労働を「神聖な義務である」とした。ジャン・カルヴァンは『キリスト教綱要』でパウロの「働きたくない者は食べてはならない(新約聖書テサロニケの信徒への手紙二」3章10節[19])」という句を支持し、無原則な救貧活動を批判した。スイスの宗教改革者達の意見によれば、ローマ教会ことカトリック教会の「むやみやたらに施しを与えるという見せかけの慈善を認めていた」ことに対抗するために「真のキリスト教徒は勤勉と倹約の徳を」と強く主張しなければならなかった背景があったという[20]ヨーロッパの国家はその影響により、「労働は神聖なもの」「働くことは神のご意志」とされていて、労働しない者は国家に反逆するもの(国家反逆)とされていた。たとえばフランスでは1656年に「パリ市内および近郊の貧しい乞食の監禁のための一般施療院の設立を定める勅令(一般施療院令)」とその強化令が発せられ、労働をしない者を(らい)施療院だった建物を転用して収容し[21]、労働させた。この施設は医療施設ではなく院長が貧困者に対する裁判権、矯正権、懲罰権を持つ監禁施設であった[22]。大規模なものとして、ルイ14世ブルボン朝第3代の国王)の指導で、精神障害者、犯罪者、浮浪者を収容する総合施療院、ビセートル病院(男性)、サルペトリエール病院(女性)が建設される[23]。のちに工業化も進み農民都市に流れ込み中には職からあふれる者も出てくるが、当時、こういった人は国家にとって不要な者とされ、これらの者の強制収容が進められ、この動きはあっという間にヨーロッパ全土に広がっていった。その収容者の中には精神病者もいた[24]

話をフランスに戻すと、パリノートルダム寺院前の広場に、パリ警視庁の警吏によって大勢の人たちが連日かき集められた。集められたのは、浮浪者、乞食、怠け者、ならず者売春婦狂人親不孝者。彼らは警視庁鑑別所を経て「施療院」と称する収容所へ投げ込まれた。そこは陽も射し込まぬ地下牢であり、みな一緒くたで鎖に繋がれた。泣き騒ぐ者には手枷・足枷・首枷をはめられた[25]

イギリスでは救貧院が強制労働をさせるための役割を負わされた[26]。1600年代に起源をもつ救貧法では働ける者には労働を強制させ、働けない者には扶助をする仕組みであった[27]

近代[編集]

自己決定権の提唱[編集]

1859年イギリス哲学者ジョン・スチュアート・ミルが自著「自由論」にて自己決定権にあたる権利を提唱した。

フランス社会主義思想[編集]

1883年には、カール・マルクスの嫁婿でフランス労働党 (POF)の創設に携わった、ポール・ラファルグ(Paul Lafargue)は『怠惰への権利』Le droit à la paresseという著作を出版し当時の奴隷的搾取労働と「働く権利」のパラドクスを批判した。これはサンディカリスム運動やストライキ権にも影響を与えた。

ソビエト社会主義思想[編集]

ソビエト連邦およびソビエト連邦共産党(前身はボリシェヴィキ、現在はロシア連邦共産党)の初代指導者ウラジーミル・レーニン(本名、ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ)は、同党の機関紙「プラウダ」第17号(1929年1月12日発行)にて論文「競争をどう組織するか?」を寄稿し、「働かざるものは食うべからず」は社会主義の実践的戒律であると述べた[28]。この戒律は新約聖書の「働きたくないものは食べてはならない」を引用したとされている[29]

1936年制定のソビエト社会主義共和国連邦憲法(スターリン憲法)では第12条に「働かざる者食うべからず」の表現がある[30]。この憲法は国内よりも対外的な宣伝を意図して作られたものであり、候補者推薦制とソビエト連邦共産党による一党独裁制は変わらず、恐怖政治や大量の粛清虐殺、強制労働が行われ、その犠牲者の多くは労働者や農民であった。最終的に、1991年ソビエト連邦の崩壊により、憲法は失効するに至っている。

日本[編集]

江戸時代[編集]

ひょっとこの面

日本人江戸時代農民を例に、元々勤勉な民族でそれは農耕民族の国民性に根ざしていると言われているが、実際はそうではないとしており[31]、労働観は仏教儒教の影響が大きく、仏教では勤勉は美徳とされている[32]。江戸時代の僧侶鈴木正三は身分にかかわりなく社会的な「役」を果たすべき、儒家石田梅岩は仕事は道徳的行為そのものと説いた[27]。 日本の年貢は村単位で納める仕組みで(村請制度)、一部の農家が何かしらの理由で年貢を納められなかった場合、不足分を村内の余裕のある人たちが負担する。勤労し、倹約をしない人たちが現れると通俗美徳を実践している真面目な人たちが損をするから、美徳として説かねればならなかった背景がある[33]

明治期のベストセラー、サミュエル・スマイルズの『自助論』(当時は中村正直訳『西国立志編』)では、勤労・倹約の裏表の関係にある自助努力自己責任を美化した著作が人々の心をとらえていた。結局、勤労・倹約の美徳は260年以上続く救済の負担を強いられてきた人々の抵抗の声でもあった[34]

なお、この時代の障害者の仕事として食べ物商売のお店などにおいて夜間を消してしまわないようにしておくものがあった。一説によるとこの仕事をする者を「火男(ひおとこ)」とよび、のちに「ひょっとこ」になったとされる。現在のようにマッチライターがなく点火が容易でなかったことで夜間に火を守り続けるという仕事があったが、過酷でなり手が見つからず、他に仕事を見つけることのできない障害者たちが多かった[35]

明治維新後[編集]

生活困窮者などは閉じ込める

1872年明治5年)10月16日[36]ロシアアレクセイ皇子[37][注釈 6]が訪日するにあたり、明治政府は東京府東京市本郷の元加賀藩邸跡(現・東京大学構内)の空き長屋営繕会議所附属養育院(現・地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター)を設置し、巷の生活困窮者などを狩込み収容した(精神障害者部門はのちに東京都立松沢病院となる)。1874年(明治7年)12月に示達された恤救規則(じゅっきゅうきそく)[38]に基づく保護を行なってきた[39][注釈 7]

昭和前期[編集]

徴兵と勤労

日中戦争(1937年、昭和12年)や国家総動員法(1938年、昭和13年)が成立するあたりからは障害者で徴兵検査に合格できないことは国家からのある種の戦力外通告であり、兵役から逃れられることはあっても臣民の義務を果しえない非国民ということで、苦にして自殺を決意するようなエピソードが出てくる[40]

また、戦後の日本国憲法や勤労感謝の日に出てくる「勤労」という言葉はこの時期の国家総力戦体制下の言葉で、大正時代までの私的な動機の「労働」は非難や処罰され、聖戦完遂や国家総動員の精神で国家の崇高な目的に奉仕する「勤労奉仕」や「勤労動員」となった。戦後、日本国憲法第27条の「勤労の権利」「勤労の義務」として生き残った[41]

戦後[編集]

勤労および労働の精神的義務化と生存権[編集]

戦後になり、1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法第27条には「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。」[42]との「勤労の権利」と日本国民の3大義務の一つ「勤労の義務」の規定がある。うち、勤労の義務は大日本帝国憲法(明治憲法)には規定はない。GHQ草案(マッカーサー草案)、憲法改正草案要綱、憲法改正草案など詳しい比較は日本国憲法第27条の項目を参照。「勤労の義務」規定の由来は諸説がある。

  1. 二宮尊徳報徳思想説 - 農林官僚出身の元農林大臣石黒忠篤や農林技官出身で代議士竹山祐太郎が、二宮尊徳の「報徳思想」の精神に則って、日本国民が自らの勤労の力で太平洋戦争で荒廃した祖国を再建させてゆこうと提案[43]
  2. 八木秀次・改革派案説(左翼社会主義) - 当時の日本社会党高野岩三郎らの憲法研究会のメンバー鈴木安蔵がまとめた憲法草案要綱[注釈 8]を参考に提案してこの義務が追加された[44]
  3. 江橋崇・革新派・保守派合流説(左翼社会主義と国家主義的ボランタリズムの合流) - 保守派が主張した案で、ポツダム宣言に基づく陸海軍の解体に伴い廃止が当然視された大日本帝国憲法第20条「兵役の義務」の代わりとして、国家に尽くすための公務に参加する義務。2の改革派案と保守派案との異質なものが合流して「勤労の義務」が定められたとしている。議事録をみると労働や勤労に関する義務の挿入に反対していた党派はなかった[45]

宮沢俊義は「日本国憲法の場合はソ連やその諸国のような社会主義体制をとるものではないからそれらの国々が定める勤労の義務の性質とはおのずと違うであろうが、全ての国民は働いて生活をすることを原則とすることにおいてはそれらの諸国と同じである。」としている[30]。また、井手英策先進国おいて、憲法典に勤労の義務を定めている国家は日本と韓国ぐらいではないかとしており、さらに「勤労の義務を果たした人だけが生存権を保障される(当時の日本人の価値観)」としている[46]

小さな政府路線と働かない自由を認めない社会[編集]

1960年代に社会保障制度が整備されたが、障害者のためのサービスは抑えられ、古典派経済学由来の財政規律を重んじた「小さな政府」路線が敷かれた[27]。古典派経済学は個人の自由を尊重すると理解されているが、労働価値説を基礎に置き「働かない自由」を認めない規範体系を擁していた[27]。例えば、この時期の内閣総理大臣池田勇人(在任期間1960年<昭和35年> - 1964年<昭和39年>)は勤労を大事にし、貧困者を立ち上がらせてやるという考え方で、勤勉に働く人達のための政策を財政の中心に据えることを決意した[47]。当然障害者の中には働くことが困難な者もいて、その方向性に反発する者やグループも出始めた[48]脳性麻痺患者による障害者患者会大阪青い芝の会は1972年(昭和47年)に会報にて「障害者は働くことはよい事なのだ、働けないことはいけないことなのだと教えられている。」「事あるごとに『働くことはよい事なのだ。働く所がなければ授産所へ行っても働け』といわれ続ける。」「街を歩けば『どこの施設から逃げてきたのだ』と言葉をかけられる。」と障害者が直面している就労や訓練に関する実態を明かし、「この現実を私達は拒否します。」と発言している[49]

東京都小平市で精神科の入院患者で状態が良くなっても長期入院を余儀なくされたり、入院が必要でもベッドの空きがなく入院ができなかったり、在宅で地域とふれあわずに生活していたりする人がいた現状を解決しようと、全国初の精神障害者向け共同作業所[50]が1976年(昭和51年)10月に開設された[51]。その後全国に広まり開設が相次いだ[50]

働かない権利の誕生[編集]

一方、働かない権利を掲げる精神障害者患者会が現れる。たとえば愛媛県松山市の精神障害者患者会、1980年(昭和55年)発足の「精神病」者グループごかいでは当初は労働を前提とした社会復帰を目指していたという。名前を札に書き、その下に現在の仕事先や学校名を書いて壁にぶら下げ就労を競っていたが、社会復帰しても再発するケースが増え、のちにあるがままに生きる生き方を重視しだした[52]。メンバーの藤原礼子によると「若い病者の中には、自ら死を選んだ人もあった。再入院する人も、少なくはなかった。(中略)「もう働くのをやめよう」という意見が出てきた。」と証言している[53]。よって、労働を前提とした社会復帰路線をとる全国精神障害者家族会連合会2007年に破産、解散)などの精神障害者家族会などの福祉関係団体と衝突することもあった。

同じころ、1981年(昭和55年)、国際障害者年の理念である「完全参加と平等」を掲げ、脳性麻痺の患者会東京青い芝の会が積極的に所得保障改善運動を展開した。1986年(昭和61年)4月に国民年金法等の改正法が施行され、障害基礎年金の支給が開始された。それまでの障害福祉年金の約2倍の支給額、例えば2級障害の場合、老齢基礎年金の額と同額になり[54]、社会保障による生活費を得る環境が改善された。

障害者労働現場の問題[編集]

障害者が虐待等により強制労働を強いていたという事件(たとえば1995年(平成7年)に茨城県で起きた「水戸事件」、滋賀県の「サン・グループ事件」)もいくつか起こった。障害や病状の悪化、人権侵害につながるのようなものが起きた場合、本末転倒と言える。

作業をしない共同作業所の出現とその後[編集]

精神障害分野では障害者達の意見を参考に作業をしない共同作業所も現れる。例えば一日のリズムを作る、人間関係の練習、日中の居場所などは作業は必然ではない。このようなコンセプトの共同作業所は1999年(平成11年)に精神障害者地域生活支援センターに引き継がれた[50]

精神障害者の統計ではあるが、全国精神障害者家族会連合会(全家連)が1985年に調査した今後の就労希望調査(就労していない人対象)によると、働きたくないが4.5%、できれば働きたくないが2.8%を占める[55]。2008年1月18日発表の厚生労働省職業安定局高齢・障害者雇用対策部障害者雇用対策課の資料によると、15歳以上64歳以下の精神障害者は、35万1千人と推計されているが、就業していない者が28万3千人(80.7%)と8割を占め、そのうち33.1%は就業希望はない[56]。これらからすべての障害者が働きたいとは思っていない実情がある。

自立支援から総合支援へ[編集]

近年、自立支援(日本版ワークフェア)という言葉が叫ばれる。2000年(平成12年)にホームレス支援事業が検討され(法律は2002年のホームレスの自立の支援等に関する特別措置法)、2002年(平成14年)に児童扶養手当法母子及び寡婦福祉法の改正があり、2005年(平成17年)に生活保護受給者等就労支援事業、2006年(平成18年)に障害者自立支援法が制定される[57][58](参考までに障害者自立支援法については一部の障害者が、別の意味で「障害者の生存権日本国憲法第25条1項)を侵害している」として違憲訴訟を起こしている[59][60]

障害者自立支援法は、2013年(2013年)4月1日から法律の理念・目的が変更され、障害者総合支援法(正式名称・障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律)として施行された。この法律が定める就労移行支援制度は働く意欲と能力のある障害者が企業などで働けるよう福祉側から支援するもので、ここで述べられているような働く能力がない障害者は支援対象ではない。

参考[編集]

国際法との関係[編集]

1992年6月12日には1983年6月20日採択の『障害者の職業リハビリテーション及び雇用に関する条約(第159号)』に批准する。この条約に基づいて障害者のために取られる措置は、それ以外の労働者との関連では差別待遇とはみなされないとしている[61]。この条約に定義される障害者とは「正当に認定された身体的又は精神的障害のため、適当な職業に就き、これを継続し及びその職業において向上する見通しが相当に減少している者(第一部第一条1)」である[62]

日本における事柄[編集]

補助金[編集]

障害者雇用に関わる補助金としては「特定求職者雇用開発助成金」(公共職業安定所担当)がある。一定条件をクリアすれば労働者として雇い入れた事業主に対して賃金相当額の一部の助成する制度である[63]行政刷新会議(Government Revitalization Unit)の事業仕分け第3弾前半初日(2010年10月27日)では、予算の執行率が低調などとして「見直し」と判定された[64]。水戸事件においては事業者はこの補助金を受け取っていながらも知的障害者の従業員に対してほとんど賃金を支払っていなかった。

国際条約との関連性[編集]

1930年6月28日採択の『強制労働に関する条約(第29号)』に1932年11月21日批准したが、これは当時の時代状況を反映し、植民地における労働形態を念頭に置いている条文がほとんどで、この項目の趣旨…働けないと思う人が働かないと宣言し、労働を拒否する行為…とはほとんど関連性はない。2011年6月現在、ストライキ権の行使や、政治的見解に対する懲罰、労働規律の手段としたものを含めあらゆる種類の強制労働を禁止する国際労働機関(ILO)が第二次世界大戦後の1957年6月25日採択に採択した『強制労働廃止に関する条約(第105号)』を批准していないが、強制労働に関する条約(第29号)の強化条約であるので、同様にこの項目の趣旨との関連性はほとんどない[65][66]

利点と欠点[編集]

利点[編集]

生産者ではないが、生活保護などの社会保障制度を利用して消費者として社会参加しており、経済が発達した国家では需給ギャップを埋めることができるので社会にとって都合がいい存在である[67]

欠点[編集]

現実的に働いていない者の中から働きたくても働けない者を選別するのは簡単なものではない上[68]、本人が働けないことを立証するのは困難であり、権利を宣言しても説得力に欠く問題がある[69]

日本では一般論として働かない権利を主張するとその人が置かれている環境によっては違法性が疑われる可能性が高まる。一つに軽犯罪法違反で、第1条第4項「生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの」に反すると疑われる可能性が高まり、その刑罰として拘留又は科料が定められている(但し国民の権利を必要以上に侵害しないように同法第4条にて歯止めがかかっている[70])。もう一つに障害年金生活保護を受けているケースでは最悪国に対する詐欺罪が成立する可能性が高まる[71](生活保護であるなら生活保護法4条1項に定める補足性の要件を満たすと嘘の申告をした疑い)。

仮に不法行為はないとしても前述のように労働価値説をベースとする資本主義社会(古典派経済学)や共産主義社会(マルクス経済学)においての労働は生存権の確保のためにやむなく行われている行為でかつ戦中の国家主義的ボランタリズムが続いている、さらに小さな政府を推進していることを踏まえると勤労者を逆撫でする造語であり、日本国内で使用することは非国民として社会的制裁の対象となりえる。

大学での研究[編集]

立命館大学大学院先端総合学術研究科に関連論文がある[72]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 使徒(しと)とは基本はイエス・キリストの弟子の事を言うが、パウロの場合は生前のキリストには会っていない。元々はサウロとのヘブライ名のユダヤ人で、キリストと敵対していたファリサイ派に属していたが、キリストを信じる人を弾圧しようと、ダマスカスに向かっていた時に天から不思議な声が聞こえたという。その様子は「使徒言行録」9章1 - 22節に書かれている[15]
  2. ^ 現在のギリシャ第2の規模の都市「テッサロニキ
  3. ^ 指導する時間が短かったために、特に終末に関する理解、イエスの再臨に関する理解は不十分で教会が混乱していた[17]
  4. ^ この手紙は以前はパウロによって書かれたと考えられていたが、パウロの名によって別人が書いたと考えられている[18]
  5. ^ チャリティーの項目も参照
  6. ^ 1872年10月に来日したアレクセイ・アレクサンドロヴィッチ大公は皇太子ではなく、出典元の誤記。
  7. ^ 恤救規則は1929年昭和4年)の救護法、戦後1950年(昭和25年)の生活保護法へ引き継がれる
  8. ^ この「憲法草案要綱」は植木枝盛私擬憲法などの自由民権運動ワイマール憲法スターリン憲法大正デモクラシーでの議論の影響を受けている。

出典[編集]

  1. ^ 「アナーキズム」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、Britannica Japan。
  2. ^ Malatesta, Errico. “Towards Anarchism”. MAN! (Los Angeles: International Group of San Francisco). OCLC 3930443. http://www.marxists.org/archive/malatesta/1930s/xx/toanarchy.htm.  Agrell, Siri (2007-05-14). “Working for The Man”. The Globe and Mail. http://www.theglobeandmail.com/servlet/story/RTGAM.20070514.wxlanarchist14/BNStory/lifeWork/home/ 2008年4月14日閲覧。.  Anarchism”. Encyclopædia Britannica. Encyclopædia Britannica Premium Service (2006年). 2006年8月29日閲覧。 “Anarchism”. The Shorter Routledge Encyclopedia of Philosophy: 14. (2005). "Anarchism is the view that a society without the state, or government, is both possible and desirable."  The following sources cite anarchism as a political philosophy: Mclaughlin, Paul (2007). Anarchism and Authority. Aldershot: Ashgate. p. 59. ISBN 0754661962  Johnston, R. (2000). The Dictionary of Human Geography. Cambridge: Blackwell Publishers. p. 24. ISBN 0631205616 
  3. ^ Slevin, Carl. "Anarchism." The Concise Oxford Dictionary of Politics. Ed. Iain McLean and Alistair McMillan. Oxford University Press, 2003.
  4. ^ 立岩真也 2006, p. 166.
  5. ^ 江端一起 2013, p. 19.
  6. ^ 東京大学社会科学研究所 1968, pp. 201–202.
  7. ^ ジェネレーションフリーの社会 ~日本人は何歳まで働くべきか p109-110
  8. ^ ジェネレーションフリーの社会 ~日本人は何歳まで働くべきか p111-113
  9. ^ 仕事なんか生きがいにするな p66-68
  10. ^ 障害のある人々の働く権利 冨江直子
  11. ^ 仕事なんか生きがいにするな p69-70
  12. ^ 大島力 2011, pp. 28–29.
  13. ^ a b 司修(画) 2011, p. 26.
  14. ^ ポール・ラファルグ 1972, p. 18.
  15. ^ 共同訳聖書実行委員会 2010, pp. 7–8.
  16. ^ 田中剛二 1992, p. 138.
  17. ^ 中川健一 2012, p. 164.
  18. ^ 共同訳聖書実行委員会 2010, pp. 111–112.
  19. ^ 共同訳聖書実行委員会 2010, p. 263.
  20. ^ リチャード・ヘンリー・トーニー 1956, p. 183.
  21. ^ 関東弁護士会連合会 2002, pp. 39–40.
  22. ^ 監禁の<実践>と狂気の<経験>--『狂気の歴史』第1部2章「大いなる閉じ込め」の方法と論理 近藤哲郎 関西福祉大学研究紀要 (9) 関西福祉大学研究会 2006年 p121
  23. ^ 岩波明 2009, p. 67.
  24. ^ 関東弁護士会連合会 2002, p. 40.
  25. ^ 石川信義 (2010年7月29日). “昔とんぼの旅日記「開かれた医療へ」(3)収容院”. PJニュース. オリジナルの2011年6月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110603205514/http://www.pjnews.net/news/610/20100728_4 2012年6月13日閲覧。 
  26. ^ 的場昭弘 2008, p. 159.
  27. ^ a b c d 「働けないこと」 がなぜ差別意識を生むのか 徳永純 2018年
  28. ^ マルクス=レーニン主義研究所(編) 1958, p. 423.
  29. ^ pha 2012, p. 229.
  30. ^ a b 八木秀次 2003, p. 221.
  31. ^ 森岡孝二 2005, pp. 147–148.
  32. ^ 日本の雇用関係の特質 井上修一 2000年
  33. ^ 幸福の増税論 p9-p10
  34. ^ 幸福の増税論 p12-13
  35. ^ "障害をもつ人たちの現代結婚事情" 谷口明広 ノーマライゼーション障害者の福祉 1996年10月号 日本障害者リハビリテーション協会発行
  36. ^ 藤井英喜『老人医療センターの歴史』東京都老人医療センター。 
  37. ^ 山口雅庸「東京都健康長寿医療センターのご紹介(東京歯科大学創立120周年記念記事)」(PDF)『歯科学報』、東京歯科大学学会、2010年、304頁、2012年3月2日閲覧 
  38. ^ 第一章国民の生活はいかに守られているか 第二節貧困といかに取り組んでいるか 一生活保護制度 制度の沿革”. 厚生白書・昭和31年度版. 厚生省. 2013年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月3日閲覧。
  39. ^ 養育院事業と歴史”. 都庁職養育院支部. 2010年12月26日閲覧。
  40. ^ 戦争と障害・動員・福祉 藤井渉 学術の動向 2022年
  41. ^ 日本国憲法のお誕生 江橋崇 書斎の窓2018年3月号 有斐閣
  42. ^ 日本国憲法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2010年12月26日閲覧。
  43. ^ 日本農業研究所(編) 1969.
  44. ^ 八木秀次 2003, pp. 167–168.
  45. ^ 「あるべき国民」の再定義としての勤労の義務-日本国憲法上の義務に関する歴史的試論- 高瀬弘文 2011
  46. ^ 幸福の増税論 p13-p14
  47. ^ 18歳からの格差論 p52-p56
  48. ^ 立岩真也 2006, p. 187.
  49. ^ 山森亮 2009, pp. 123–124.
  50. ^ a b c 花信風2016年6月号 社会福祉法人光風会
  51. ^ 小平市史 近現代編 p743-p744
  52. ^ 「病」者の本出版委員会 1995, p. 73.
  53. ^ 藤原礼子. “喜びも悲しみも ニクマンも一七年”. 「精神病」者グループごかい. 2009年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月4日閲覧。
  54. ^ 時代を読む68-障害基礎年金の創設 浅野史郎 月刊「ノーマライゼーション 障害者の福祉」2015年6月号 2023年6月19日閲覧
  55. ^ 日本障害者雇用促進協会 1992, p. 141.
  56. ^ 身体障害者、知的障害者及び精神障害者就業実態調査の調査結果について』(PDF)(プレスリリース)厚生労働省職業安定局高齢・障害者雇用対策部障害者雇用対策課、2008年1月18日https://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/01/dl/h0118-2a.pdf2013年2月15日閲覧 
  57. ^ 山森亮 2009, pp. 53–56.
  58. ^ ホームレスの自立支援方策について(ホームレスの自立支援方策に関する研究会)』(プレスリリース)厚生省社会・援護局地域福祉課、2000年3月8日https://www.mhlw.go.jp/www1/houdou/1203/h0308-1_16.html2011年7月26日閲覧 
  59. ^ 障害者自立支援法違憲訴訟に係る基本合意について』(プレスリリース)厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課、2010年1月7日https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/goui/index.html2012年1月19日閲覧 
  60. ^ “民主党政権の通信簿 078 障害者自立支援法は廃止し新法を制定”. 毎日jp. (2010年6月20日). オリジナルの2010年11月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101101112743/http://mainichi.jp/select/seiji/indicator/nenkin/078.html 2012年1月24日閲覧。 
  61. ^ 職業リハビリテーション及び雇用(障害者)条約(第159号)”. ILO駐日事務所. 2013年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月19日閲覧。
  62. ^ 障害者の職業リハビリテーション及び雇用に関する条約(第159号)”. ILO駐日事務所. 2012年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月19日閲覧。
  63. ^ 特定求職者雇用開発助成金”. 厚生労働省. 2012年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月6日閲覧。
  64. ^ “事業仕分け初日の結果詳報”. 47NEWS (共同通信社). (2010年10月27日). オリジナルの2012年11月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121122041518/http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010102701000972.html 2012年6月13日閲覧。 
  65. ^ 1930年の強制労働条約(第29号)”. ILO駐日事務所. 2013年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月19日閲覧。
  66. ^ 強制労働廃止に関する条約(第105号)”. ILO駐日事務所. 2011年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月20日閲覧。
  67. ^ テレビの金持ち視線 -「生活保護」を叩いて得をするのは誰か- kindle版 和田秀樹 KKベストセラーズ 2017年 位置No.507-546
  68. ^ 山森亮 2009, p. 60.
  69. ^ 立岩真也 2006, p. 168.
  70. ^ 軽犯罪法”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2014年8月22日閲覧。
  71. ^ 星野宏明 (2014年5月23日). “働かないことは違法か”. シェアしたくなる法律相談所. 2014年8月21日閲覧。
  72. ^ 阿部あかね「精神障害者〈反社会復帰〉〈働かない権利〉思想の形成過程――1960年〜1980年代の病者運動から」『立命館大学大学院先端総合学術研究科2008年度博士予備論文』2009年3月、2011年8月26日閲覧 

参考文献[編集]

関連項目[編集]