傑山宗俊

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傑山宗俊
生年不明 - 天正20年
(生年不明 - 1592年
傑山
宗俊
宗旨 臨済宗
南渓瑞聞
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傑山 宗俊(けっさん そうしゅん、生年不詳 - 天正20年[注釈 1]12月5日1592年1月7日))は、戦国時代僧侶

臨済宗龍潭寺三世住職[1]

人物[編集]

傑山は南渓瑞聞の弟子であり、1556年頃、師・南渓瑞聞より傑山の号を授かる[2]

井伊直虎の死後、井伊直政小牧・長久手の戦いで先鋒として出陣する際に、南渓瑞聞から昊天宗建とともに遣わされた[3]。傑山は強弓の人であり、長久手にて池田恒興森長可の両隊を討つことにより、直政は名をあげた[4]

1589年に龍潭寺二世・南渓瑞聞が亡くなると、龍潭寺三世となる[2]

登場する作品[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 天正から文禄に改元したのは旧暦の12月8日(1593年1月10日)である。

出典[編集]

  1. ^ 石田雅彦著、井伊達夫監修『おんな城主 井伊直虎 その謎と魅力』(アスペクト、2016年)206頁
  2. ^ a b 龍潭寺歴代住職(南渓・傑山・昊天)|井伊家の歴史|遠州の古刹 龍潭寺
  3. ^ 『井伊家伝記』85-86頁(井伊家伝記の中表紙を1頁、最初の本文を3頁とする)より
  4. ^ 『井伊家伝記』86頁(井伊家伝記の中表紙を1頁、最初の本文を3頁とする)より