信藤三雄

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信藤 三雄(しんどう みつお、1948年 - )は、日本アートディレクター、映像ディレクター、映画監督。有限会社コンテムポラリー・プロダクション (C.T.P.P.) 主宰を経て2011年6月11日、株式会社信藤三雄事務所を設立。東京都出身。妻は元ハイポジのボーカルで現在は風水アドバイザーのMirey(もりばやしみほ)[1]

松任谷由実Mr.ChildrenサザンオールスターズSMAPMISIAなど、手がけたCD/レコードジャケットの数は2007年時点で約900枚にのぼる[2]。1980年代後半から1990年代にかけて、ピチカート・ファイヴフリッパーズ・ギターといった「渋谷系」ミュージシャンのCD/レコード、宣伝材料一式のアートワークに携わり、渋谷系におけるデザインの方向性を決定づけたといわれる[3][4][2]。グラフィックデザイン以外にも、映像作家としてミュージック・ビデオ映画も手がけ、元々はバンド「スクーターズ」の一員として活動していたミュージシャンでもある。近年は社会活動にも積極的にかかわっている。

人物[編集]

若年期[編集]

大学時代は広告研究会に在籍[5]。デザイン学校を卒業[2][5]した後、百貨店業界誌「デパートニューズ」[6]の記者[2][5]となるが、自分には記者は向いていないと判断して半年ほどで退職[6]、一般企業をクライアントとするデザイン事務所[5][2]に勤めた。

その後、フリーのデザイナーとしての活動と同時に、「マギー・シン」名義[7]スクーターズのギター兼リーダー[8]としてバンド活動を行う[2]。1982年にデビューしたスクーターズは、シングル1枚、アルバム1枚をリリースしたのみで解散する[2][7]

アートディレクターとして[編集]

1984年、松任谷由実のシングル『VOYAGER〜日付のない墓標 』、アルバム『NO SIDE』のジャケットデザインを担当し、本格的にジャケットデザインに携わるようになる[2][9]。1985年、自身のデザイン事務所を設立[2]。設立当初はシンチャン・スタジオ (Sing Chang Studio) [10]といったが、すぐにコンテムポラリー・プロダクション (C.T.P.P.) に改名した[10]

1986年、ピチカート・ファイヴのシングル『ピチカート・ファイヴ・イン・アクション』のジャケットを手がけのを皮切りとして、その後ピチカートのほとんどのCD/レコードのアートディレクションを担当するようになる[2]。「自分と同じ価値観を持つ人/アーティストだった」[2]と彼が評する小西康陽とのコンビにより新しいアイデアを盛り込んだデザインを次々に発表していった[2]。ピチカートのほかにも、フリッパーズ・ギターオリジナル・ラヴ小山田圭吾トラットリアレーベル、クレモンティーヌといった、いわゆる「渋谷系」にカテゴライズされるCD/レコードのジャケットデザインを数多く手がけた[4][2]川勝正幸はCTPPを「『渋谷系のCI』と言っても過言ではない大きなヴィジュアルの流れを作った」[3]と評し、そのジャケットデザインの特徴を以下のようにまとめている。「①音楽性やテーマをワン・アイデアで、明解にヴィジュアルに翻訳している。 ②マニアックなネタを素にしながらも、メジャー感がある。つまり、デザインにフェロモンがある。 ③ミュージシャンと一緒に走っている勢いがデザインにもある。要するに、同時代性を感じさせる。 ④業界のオキテ破り的な、特殊パッケージが多い」[11]

ジャケットデザインにおける特徴のひとつである外国の雑誌、広告、レコード、ポップアートといった過去のポップカルチャーからの“引用”[4][12][2]は、ちょうど渋谷系の音楽的な特徴とも同調していた[4]。特殊パッケージの積極的な使用については「動機はCDが登場してからデザインの面が小さくなっちゃったから、単純に考えるとつまんないじゃないですか、それをいかに面白くするかなんですよね。子供がおもちゃを買ってうれしいな、みたいなシンプルな動機の実現ていうか。シールが入ってたり、組み立てられる何かがあったり、そういうことを考えるのが楽しくて」[13]とその理由を語る。1980年代後半の媒体がアナログレコードからCDに切り替わっていった時代については「CDの、プラスチック・ケースの手触りが嫌だったんだよねえ。だから泣く泣くCDのデザインをやってました」[14]「実はあの頃のピチカートとフリッパーズで、やっと“CDというフォーマットで何が出来るんだろう?”と真剣に考え始めたんですね。やっぱり何だかんだ言ってもアナログをデザインしたいんです。でも出来ないから一種の代理戦争みたいな…。CDでのデザイン的な戦いというか」[14]と振り返っている。両面印刷のバックインレイ(背ジャケット)を見せるためにCD盤の受け皿を透明トレイにするというアイデア(発案は小西による[10][4])の採用は、1989年リリースの『女王陛下のピチカート・ファイヴ』がおそらく世界初、または初めてではなくても相当に早かった[15]といわれ、その後のCDパッケージのデザインにおいてポピュラーなものとして定着した。

そのほかの活動[編集]

1990年代以降、映像作家として多くのミュージックビデオをディレクションしている。2003年、桑田佳祐の「東京」のPVが「SPACE SHOWER MUSIC VIDEO AWARDS “BEST VIDEO OF THE YEAR”」を受賞した[2]。1995年12月にフジテレビで放映されたオムニバスドラマ『聖夜の奇跡』第2話「聖者が街にやってくる」を監督[10]。1998年に『代官山物語』で映画監督デビュー。2003年、リリー・フランキー脚本による短編映画『男女7人蕎麦物語』を監督。2006年、初の劇場用監督作品となる『男はソレを我慢できない』が公開された[2]

1998年、レコードレーベル・CTPR(コンテムポラリー・レコーズ)を設立[16]。映画『代官山物語』のVHSや信藤がプロデューサーを務めるハイポジのCDが同レーベルからリリースされた。スクーターズ時代の楽曲「東京ディスコナイト」(信藤は共同作曲者としてクレジットされている)は1992年に小泉今日子によってカバーされた。スクーターズは2003年に過去の音源をまとめたアルバムがリリースされ、2012年に30年ぶりとなる新作アルバム『女は何度も勝負する』を発表した[17]

2003年、「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」の映像プロデューサーおよびアートディレクターを担当[2]。2008年8月、音楽フェスティバル「WORLD HAPPINEES」のキュレーターを高橋幸宏とともにつとめ[18]、信藤本人も初年度の2008年に「NRT320」として野宮真貴らとともに出演した。音楽とアートが持つメッセージパワーを活かし、世界をよりよくデザインするため、2010年に設立された一般財団法人mudef副代表理事に就任。

2011年、脱原発をめざすクリエイター集団「The Maskz(ザ・マスクズ)」が信藤を中心に発足し、活動を始めた。[19]メンバーにはBOSEスチャダラパー)、湯山玲子らが名を連ねる[20]

作品[編集]

CDジャケット[編集]

ピンクのビニールジャケットやイヤホン付きなど実験的なデザインを多用した。
1987年から全ての作品を手がける。変形ジャケット等実験的なデザインを多用した。
デビューから解散まで全ての作品を手がけた。
デビュー時から多くの作品を手がける。

ミュージック・ビデオ[編集]

2003年の「SPACE SHOWER MUSIC VIDEO AWORDS」にて”BEST VIDEO OF THE YEAR”を受賞。

映画[編集]

  • 代官山物語
出演:佐々木潤夏木マリほか。1998年作品。
  • 男女7人蕎麦物語
出演:中嶋朋子横山剣ほか。脚本・リリー・フランキー。2003年作品。
出演:竹中直人鈴木京香ほか。2006年作品。

著書[編集]

  • シーティーピーピーのデザイン(1996年8月、光琳社出版ISBN 4-7713-0225-1 - 現在絶版。
  • 続シーティーピーピーのデザイン 絶頂篇(2002年4月、DAI-X出版ISBN 4-8125-2064-9
  • 男はソレを我慢できないアフターアワーズ 対談集(シモキタ・シネマ・プロジェクト:著、信藤三雄ほか:述、2006年8月、DAI-X出版) ISBN 4-8125-2854-2

写真集[編集]

出典[編集]

  1. ^ そばにいる人からハッピーに 信藤三雄 Mirey”. 生活空間へのこだわり専門サイト ルームフレーバー.com (2008年8月1日). 2013年4月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q CDJournal 2007-8-10.
  3. ^ a b 川勝 2013, p. 118.
  4. ^ a b c d e 木村 2003.
  5. ^ a b c d 川勝 2013.
  6. ^ a b PEPPER SHOP 0014.
  7. ^ a b 川勝 2013, p. 120.
  8. ^ スクーターズ30年ぶりの新譜に橋本淳&筒美京平、志磨遼平、小西康陽ら参加”. ototoy (2012年6月8日). 2013年4月29日閲覧。
  9. ^ 『シーティーピーピーのデザイン』 1996.
  10. ^ a b c d 「信藤三雄の語るデザイン」『シーティーピーピーのデザイン』 1996.
  11. ^ 川勝 2013, p. 112.
  12. ^ 川勝 2013, pp. 123-124.
  13. ^ INTERVIES Vol.06 信藤三雄 アートディレクター”. リクルートの2つのギャラリー ガーディアン・ガーデン (2001年10月). 2013年4月29日閲覧。
  14. ^ a b 伊藤亮「特集 フリッパーズ・ギター 2人を支えた3人の大人たち①信藤三雄」『ミュージック・マガジン』ミュージック・マガジン、2006年9月号、40-43頁。
  15. ^ 川勝 2013, p. 122.
  16. ^ HI-POSI : バイオグラフィー”. BARKS (2000年4月14日). 2013年4月29日閲覧。
  17. ^ スクーターズの復活アルバムに小西康陽、志磨遼平ら曲提供”. ナタリー (2012年6月19日). 2013年4月29日閲覧。
  18. ^ WORLD HAPPINESS -LOVE & MAMMY AND SOMETIME DADDY- 高橋幸宏× 信藤三雄と、素敵な仲間たち”. Web Magazine OPENERS (2008年6月13日). 2013年4月29日閲覧。
  19. ^ 「3.11から1年を経て」信藤三雄(The Maskz)インタヴュー”. STUDIOVOICE. 2013年4月29日閲覧。
  20. ^ 坂本龍一、U-zhaan、OREら出演、信藤三雄率いる脱原発グループmaskz主催イベント”. CINRA.NET (2012年11月28日). 2013年4月29日閲覧。

参考文献[編集]

  • 川勝正幸 「世界同時渋谷化とCTPP上位時代」『ポップ中毒者の手記(約10年分)』 河出書房新社、2013年、111-125頁。ISBN 978-4309411941
  • コンテムポラリー・プロダクション 『design by contemporary production シーティーピーピーのデザイン』 光琳社出版、1996年ISBN 978-4771302259
    • 「<コンテムポラリー・プロダクション信藤氏インタビュー> 信藤三雄の語るデザイン」『design by contemporary production シーティーピーピーのデザイン』。
  • 木村重樹 「CDジャケット観光」『別冊宝島771号 音楽史が書かないJポップ批評25』 宝島社、2003年、12-13頁。ISBN 978-4796633215
  • “渋谷系”のカリスマ? デザイナー・信藤三雄とは?”. CDJournal (2007年8月10日). 2013年4月21日閲覧。
  • PEPPER SHOP 0014 信藤三雄”. Pepper Shop/ペッパーショップ (1994年). 2013年4月29日閲覧。

外部リンク[編集]