佐竹義和
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佐竹 義和(さたけ よしまさ、1775年1月31日(安永4年1月1日) - 1815年8月12日(文化12年7月8日))は、江戸時代の大名。久保田藩九代藩主。八代藩主佐竹義敦(曙山)の長男。生母は三木氏。幼名は直丸。通称は次郎。官位は従四位下侍従、右京大夫。
1778年(安永7年)12月25日に藩主義敦の嫡子となる。1785年(天明5年)7月26日に父義敦の死去により、家督を相続する。1788年(天明8年)10月15日、将軍徳川家斉に御目見する。同年12月16日従四位下侍従、右京大夫に叙任する。秋田藩における寛政の改革を行い、殖産興業や有能な人材の登用、藩校「明徳館」を設立するなど尽力する。また、菅江真澄に出羽の地誌を作って欲しいと依頼した。1815年(文化12年)7月8日久保田城において死去。享年40。
詩歌や書画に造詣が深く、数多くの作品を残している。
正室は堀田正順の娘。子は長男・佐竹義厚、次男・佐竹義尹、保科松平容敬正室ら三男三女。
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