佐久間実勝

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佐久間実勝
佐久間実勝像
(伝狩野探幽筆、真珠庵蔵)
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 元亀元年(1570年
死没 寛永19年10月22日1642年12月13日
別名 真勝、直勝、佐久間将監
号:山隠宗可または匿藪斎
庵号・寸松庵
官位 従五位下伊予河内将監
主君 豊臣秀吉徳川家康秀忠家光
氏族 佐久間氏
父母 父:佐久間政実
堀田正吉の娘
特記
事項
茶道宗可流開祖
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佐久間 実勝(さくま さねかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての茶人旗本真勝(さねかつ)・直勝ともいう。佐久間将監の名で知られる。茶道・宗可流の開祖。

豊臣秀吉の小姓となり、のちに徳川家康から家光まで三代に仕えた。慶長9年(1608年)6月22日、従五位下伊予守に叙任。慶長14年(1609年)、名古屋城築城の普請奉行を務めた。のちに使番に列せられ、寛永9年(1632年)10月3日、作事奉行となり、同10年(1633年)12月24日に2000石を賜る。

茶人として著名であった。茶道は古田織部小堀遠州に師事し、山隠宗可または匿藪斎と号し、晩年に京の大徳寺龍光院内に塔頭寸松庵を建立し、これを隠居所とした。前庭一面に小松を植えていたので寸松庵の名があり、この庵で愛蔵した伝紀貫之筆という12枚の色紙は『寸松庵色紙』と称され、平安時代を代表する古筆として名高い。この色紙は、もと和泉国南宗寺に存したが、実勝が烏丸光広から入手し、1枚ごとにその歌意を描いた金地扇面画を添えて帖に仕立てた。同じく堀田正吉の娘を室としていた喜多見重勝に茶道を指南した。

神奈川県横浜市中区三渓園内に移設されている聴秋閣は元々、元和9年(1623年)に江戸幕府3代将軍徳川家光が上洛するに際し、実勝が命じられて二条城内に建造されたものである。その後、移設や改装が加えられているとされる。

室の実家である堀田氏を通じ、春日局と縁故があったと推測されており、前出の聴秋閣はのちに春日局に払い下げられ江戸に移設され、さらに春日局実家の稲葉家の藩邸に移設されて幕末に至っている。


参考文献[編集]