佐々木功 (陸上選手)

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佐々木 功(ささき いさお、1943年2月2日 - 1995年3月13日)は日本の陸上競技の元選手で、マラソン・中長距離選手の元指導者。岩手県盛岡市出身。

1943年、岩手県盛岡市に8人兄弟の7番目として生まれる。

岩手県立美術工芸高校(現・岩手県立盛岡工業高等学校)に入学し陸上競技を始める。高校卒業後、いったんデザイン会社に就職するが、陸上競技が忘れられず22歳で東洋大学に入学し、箱根駅伝等で活躍した。

東洋大学卒業後、当時の陸上の名門リッカーに入社するも、2年で退社。その後、東洋大学陸上部の監督を務める。

1980年、新日本電気(のち日本電気ホームエレクトロニクス、現在は解散)陸上部監督に就任。1982年に入社した浅井えり子をオリンピック選手に育て上げた。

1994年8月31日ガン告知を受け、前妻と離婚して浅井えり子と入籍。浅井は妻として佐々木の194日間の闘病生活を支えた。1995年3月13日悪性黒色腫のため52歳の若さで逝去。

佐々木は、日本マラソン界に「時間をかけて、ゆっくりと、長い距離を」走る「LSD (long slow distance) 」を紹介した。佐々木のLSD理論は、身体の末端の眠っている毛細血管を目覚めさせ、競技能力を向上させることが可能となるというもので、「ゆっくり走れば速くなる」をスローガンに、今なお数多くのランナー、ジョガーに多大な影響を与えている。

[編集] 著書

  • 『ゆっくり走れば速くなる』、1986年、ランナーズ