伝習隊

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伝習隊(でんしゅうたい)とは、江戸幕府陸軍(幕府歩兵)の精鋭部隊として編成した、フランス軍事顧問団の直接指導を受ける西洋式軍隊のこと。戊辰戦争では約1100名が旧幕府軍の主力として戦った。残りは長州藩傘下の帰正隊として新政府軍に参加して旧幕府軍と戦った。

概要[編集]

兵士には、博徒やくざ雲助馬丁火消などの江戸の無頼の徒を徴募して編成し、シャノワーヌブリュネなどのフランス軍顧問により直接フランス式の調練を施された部隊である。指揮官には大鳥圭介などがいた。

当時最新鋭の装備を誇っていた。号令はすべてフランス語で行われていた。

沿革[編集]

1867年慶応3年)に創設。鳥羽・伏見の戦いでは伝習隊の一部が幕府陸軍の一部隊として参戦。敗北するもそれなりに善戦した。

江戸開城時に、江戸の旧幕府軍の多くは新政府に帰順したが、伝習隊の多くは帰順しなかった。1868年(慶応4年)2月から4月にかけて、2000人から3000人の幕府歩兵隊新選組などが江戸を脱走した際に、大鳥圭介に同行して伝習第一大隊、第二大隊の1100名ほどが脱走した。脱走した伝習隊などの約2000人は、5月4日4月12日)に下総市川の国府台に集結して、大鳥圭介を総督(隊長)、土方歳三を参謀として部隊を編成した。その後、北関東に向かい、途中の小山で西軍を撃破した。さらに宇都宮へと進軍、宇都宮を奪還した。別行動を取った草風隊回天隊などの旗本子弟の部隊約700人も合流(後の伝習士官隊)、北関東から北陸会津で戦い、最後は北海道の五稜郭へと転戦する(歩兵隊指揮は大川正次郎士官隊指揮は滝川充太郎)。1869年6月27日明治2年5月18日)、榎本武揚を筆頭とする五稜郭の旧幕府軍の降伏に従い、伝習隊も降伏して解散した。こうして戊辰戦争も終わった。

一方、編成2個大隊(1400人)の定数であった伝習隊のうち、1200人余りが新政府に帰順し、うち2個中隊が帰正隊として新政府に編入された残余の伝習隊は房総半島の鎮撫活動や奥州に転戦し[1]、1869年(明治2年)には箱館に向けて出陣し、脱走幕府軍を攻撃した。その後解散した。

脚注[編集]

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  1. ^ 淺川道夫『明治維新と陸軍創設』錦正社、2013年、p13

参考文献[編集]

関連項目[編集]