伏見宮貞致親王

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伏見宮貞致親王(ふしみのみや さだゆきしんのう、寛永9年5月27日1632年7月14日) - 元禄7年5月18日1694年6月10日))は、江戸時代初期の皇族伏見宮第13代当主。父は伏見宮第10代当主の貞清親王と言われるが、一説には邦尚親王の王子とも伝えられる。母の少納言局・安藤定子は安藤定元の女で、曾祖父は邦輔親王の王子・安藤惟実(邦茂王)。同母弟に邦道親王がいる。妃は関白近衛尚嗣の女、好君。

丹波国に養子に出された後、寛永20年から21年(1643〜44年)ごろに山城国西陣鍛冶・埋忠の徒弟となり、慶安2年(1649年)まで長九郎と名乗っていた。承応3年(1654年)に貞清親王、邦尚親王、邦道親王が立て続けに薨去すると伏見宮家は断絶の危機に直面したが、安藤家の働きかけにより京都所司代が吟味したところ伏見宮の落胤であると認められ、久我広通の後見のもとに伏見宮を継いだ。万治3年(1660年)に親王宣下元服

王子女に邦永親王真宮理子女王徳川吉宗室)など。

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