伊藤左千夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
伊藤 左千夫
(いとう さちお)
Ito Sachio.jpg
誕生 伊藤幸次郎
1864年9月18日
日本の旗 日本上総国武射郡殿台村
(現・千葉県山武市
死没 1913年7月30日(満48歳没)
職業 歌人小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 明治法律学校(現・明治大学)中退
ジャンル 短歌小説
文学活動 アララギ派ロマン主義
代表作 『野菊の墓』(1906年)
『隣の嫁』(1908年)
『春の潮』(1908年)
Portal.svg ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

伊藤 左千夫(いとう さちお、1864年9月18日元治元年8月18日) - 1913年大正2年)7月30日)は日本歌人小説家。本名 幸次郎

経歴[編集]

上総国武射郡殿台村(現在の千葉県山武市)の農家出身。明治法律学校(現・明治大学)中退。

1898年明治31年)に新聞『日本』に「非新自讃歌論」を発表。『歌よみに与ふる書』に感化され、正岡子規に師事。子規の没後、根岸短歌会系歌人をまとめ、短歌雑誌『馬酔木』『アララギ』の中心となって、斎藤茂吉土屋文明などを育成した。

また、1905年(明治38年)には、子規の写生文の影響を受けた小説「野菊の墓」を『ホトトギス』に発表。夏目漱石に評価される。代表作に『隣の嫁』『春の潮』など。この頃、東京帝国大学学生の三井甲之や近角常音が出入りをしていた。常音の兄である真宗大谷派僧侶の近角常観とも知遇を得て、常観が主宰していた雑誌『求道』(求道発行所)に短歌を寄稿する。

1913年(大正2年)に脳溢血のため死去。

人物[編集]

茶の湯[編集]

左千夫は茶道にも通じており、子規から「茶博士」と呼ばれたほどで、左千夫の自宅を「無一塵庵」と名付けた。

一戸建ての茶室を欲しており、友人である蕨真の助けを借りて、自邸内に茶室「唯真閣」を建立した。現在では生家に移築されている。

その他[編集]

山武市歴史民俗資料館の横には左千夫の生家がある。資料館には左千夫に関する資料が多く展示されている。また、市内には伊藤左千夫記念公園があり、『野菊の墓』の主人公である、政夫と民子の像がある。また、亀戸駅南口,東京都立城東高等学校内には左千夫の歌碑が建立されている。

外部リンク[編集]