伊甚国造

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伊甚国造(いじみのくにのみやつこ、いじみこくぞう)は、後の令制国上総国埴生郡、現在の千葉県茂原市の一部と長生郡長南町および睦沢町の一部を支配した国造伊甚屯倉設置以前は夷灊郡も支配していたと考えられている。表記については、『先代旧事本紀』「国造本紀」と『日本書紀』は伊甚国造とするが、『古事記』は伊自牟国造(いじむ-)とする。

概要[編集]

祖先[編集]

氏族[編集]

伊甚氏(いじむうじ、)。『古事記』や各種系図では出雲臣の同族とされており、出雲国出雲郡にも式内社として伊甚神社の名が見える。また、伊甚国造は時代に応じて刑部直長谷部直春部直となり、我孫公氏の指揮の元に大王に服属し、伊甚国造が大王に献上するモヒや山海の幸を運んでいたのは車持部であったと考えられる[3]

本拠[編集]

伊甚国造は夷隅川および一宮川流域を支配していたとみられ、長南町域には能満寺古墳油殿一号墳といった4世紀代の大型前方後円墳があり、古墳時代前期における首長勢力の存在をうかがわせる。しかし5世紀以降は大型前方後円墳の築造は認められない[4]。また、これらの古墳の築造者を伊甚国造とし、上総国一宮玉前神社との関連があると見る説もある [5]

『日本書紀』には、伊甚屯倉献上の記事があり、安閑天皇元年(534年)4月1日条によれば、内膳卿の膳臣大麻呂は伊甚国造に真珠の献納を命じたが、期限に遅れたため捕縛しようとしたところ、国造伊甚稚子春日山田皇后の寝殿に逃げ隠れた。皇后は驚き失神したためより罪が重くなり、稚子は贖罪のため春日山田皇后に伊甚屯倉を献上し、これが後の夷灊郡であるという[6]。「今わかちて郡とし」とあるので、広大な屯倉であり、その領域は夷灊郡のみならず、北の埴生郡や長柄郡にもおよんでいたと推定される[7]

この『日本書紀』の記述をそのまま信じるわけにはいかないが、後代の『日本三代実録貞観9年(867年)4月20日条に夷灊郡の春日部直黒主売の名がみえるので、皇后のために屯倉が置かれたことは史実とみなされている[8][7][9]。こうした屯倉の設置には、地方豪族の支配領域に直轄領を楔のように打込み、勢力を伸張させるヤマト王権のあり方をみることができる[10]6世紀には、春日山田皇后の外戚である和珥氏の一族武社国造も北東の九十九里浜中央に進出したとされ[11]、『続日本後紀承和2年(835年)3月16日条には、安閑天皇の他の妃宅媛の父物部木蓮子の弟(つまり宅媛の叔父)小事の功勳による匝瑳郡建郡に関する記事があり[12]、古墳時代中後期のこの地域の首長勢力の衰退を反映している可能性がある[4]

氏神[編集]

上総国一宮玉前神社と見られる [5]

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脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『古事記』には、建比良鳥命、此は出雲国造无邪志国造上菟上国造下菟上国造、伊自牟国造、津島県直遠江国造等の祖なり、とある。

出典[編集]

  1. ^ 『先代旧事本紀』 巻第十、国造本紀
  2. ^ 『古事記』 上巻 天照大御神と須佐之男命段
  3. ^ 前之園亮一『「王賜」銘鉄剣と五世紀の日本』(岩田書院、2013年)
  4. ^ a b 『千葉県の地名(日本歴史地名大系 12)』840ページ
  5. ^ a b c 丸子部と丸部2」『古樹紀之房間』2009年。
  6. ^ 『日本書紀』 巻第十八、安閑天皇元年4月1日条
  7. ^ a b 『日本古代史地名事典』 239ページ
  8. ^ 『角川日本地名大辞典 12 千葉県』 102ページ
  9. ^ 宝賀寿男「第三部 畿内・東国に展開した初期分岐の支族 二 武蔵国造と東国の諸国造族」『古代氏族の研究⑯ 出雲氏・土師氏 原出雲王国の盛衰』青垣出版、2020年、264頁。
  10. ^ 『千葉県の地名』 670ページ
  11. ^ 『続日本紀 四』補注 29-六〇
  12. ^ 『角川日本地名大辞典 12 千葉県』 495頁

参考文献[編集]

  • 小笠原長和・監 『千葉県の地名(日本歴史地名大系 12)』 平凡社、1996年、ISBN 4-582-49012-3、670,840ページ
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会・編 『角川日本地名大辞典 12 千葉県』 角川書店、1984年、ISBN 4-04-001120-1、102,495ページ
  • 天理大學出版部編集委員会 『先代舊事本紀〈天理圖書館善本叢書和書之部 41巻〉』天理大學出版部、1978年、632ページ
  • 荻原浅男・訳 『日本の古典完訳 (1) 古事記』 小学館、1983年、ISBN 4-09-556001-0、37ページ
  • 坂本太郎・他 『日本書紀(三) (岩波文庫) 』 岩波書店、1994年、ISBN 4-00-300043-9、214ページ
  • 宇治谷孟・訳 『日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)』 講談社、1988年、ISBN 4-06-158833-8、370ページ
  • 加藤謙吉・他 『日本古代史地名事典』 雄山閣、2007年、ISBN 978-4-639-01995-4、239ページ
  • 青木和夫 他 『続日本紀 四』 岩波書店、1995年、ISBN 4-00-240015-8、529ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]