伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド

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伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド
ジャンル バラエティ番組
放送方式 生放送
放送期間 1984年4月7日 - 1996年9月28日
放送時間 毎週土曜日 9:00 - 13:00(JST
放送局 文化放送
パーソナリティ 伊東四朗
出演 白石冬美[1]
保田裕子
加山ひろ子
夏木ゆたか
青柳秀侑
山藤佳子
おぼん・こぼん
水谷加奈
ホームラン
ビートきよし
城後光義
松波利佳
吉田涙子
太田英明
ブッチャーブラザーズ
俵山栄子
公式サイト [  公式サイト]
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伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド(いとうしろうのあっぱれどようワイド)は1984年4月7日から、1996年9月28日まで放送されていた、文化放送ラジオ番組

1989年9月ビデオリサーチ聴取率調査で、3.7%を記録するなど、同時間帯のトップに立っていたこともあった[2]

番組内容[編集]

  • パーソナリティ伊東四朗による生放送ワイド番組。

放送時間[編集]

  • 土曜 9:00 - 13:00

出演者[編集]

[3][4][5]

パーソナリティ[編集]

アシスタント[編集]

  • 白石冬美(初代アシスタント)[1]
  • 保田裕子(1986年4月当時)
  • 加山ひろ子(1988年3月まで)
  • 山藤佳子(1988年4月 - 1990年3月)
  • 水谷加奈(文化放送アナウンサー)(1990年4月 - 1994年3月)
  • 吉田涙子(文化放送アナウンサー(当時))(1994年4月 - 1996年9月)

リポーター[編集]

タイムテーブル[編集]

[3]

  • 9:00 - オープニング
  • 9:10 - 9:30
    • 今週の人間名セリフ(1986年9月まで)
    • あっぱれババ放談(1986年10月から)
  • 9:30 - 伊東四朗のここだけの話
  • 9:49 - 文化放送 ラジオショッピング
  • 9:54 - 天気予報
  • 9:56 - 交通情報
  • 10:00 - 文化放送ニュース
  • 10:05 - タフマン伊東の堪忍袋
  • 10:30 - 人生晴れたり曇ったり
  • 10:54 - 天気予報
  • 10:56 - 交通情報
  • 11:00 - 今週のあっぱれ大特集
  • 11:40
    • 青柳秀侑の体で勝負(1986年4月当時)
    • 元祖配達番組 伊東四朗のあっぱれ饅頭(1992年3月まで)
    • こちら夏木探偵社(1992年4月 - 1994年3月)
  • 11:55 - 交通情報
  • 12:00 - 文化放送ニュース、天気予報
  • 12:05 - あっぱれ伝言リクエスト
  • 12:35
    • 町内人気歌手 あなた出番です(1986年4月当時)
    • 夏木ゆたかのあっぱれプロポーズ(1987年9月まで)
    • 夏木ゆたかのあつまれ おもしろピッタンコ(1987年10月 - 1988年3月)
    • おぼん・こぼんのうた仲間三人衆(1988年4月 - 1990年3月)
    • ビートきよしのダイナマイト歌合戦(1990年4月 - 1994年3月)
  • 12:50 - 交通情報
  • 12:55 - エンディング[6]

番組コーナー[3][編集]

  • 今週の人間名セリフ
  • あっぱれババ放談
  • 伊東四朗のここだけの話
  • タフマン伊東の堪忍袋(提供:ヤクルト
  • 人生晴れたり曇ったり
  • 今週のあっぱれ大特集
  • 元祖配達番組 伊東四朗のあっぱれ饅頭
    • 1991年4月1992年3月は城後光義の担当となり、「城後光義がお届けします!」のサブタイトルが付いた。
  • こちら夏木探偵社
  • あっぱれ伝言リクエスト
  • 夏木ゆたかのあっぱれプロポーズ
  • 夏木ゆたかのあつまれ おもしろピッタンコ
  • おぼん・こぼんのうた仲間三人衆
  • ビートきよしのダイナマイト歌合戦

リスナープレゼント[編集]

  • 「あっぱれ饅頭」(株式会社花園万頭特製)

テーマ曲[編集]

出来事[編集]

  • 伊東がロケ等スケジュールの都合で出演できなかったことが数回あり、それらの回については小野ヤスシ出光元がパーソナリティを務めた。伊東が電話で出演したほか、「タフマン伊東の堪忍袋」「人生晴れたり曇ったり」のコーナーは録音による放送となった。
  • 番組内の文化放送ニュースで、金日成死去が報じられ、伊東が即座に「(北朝鮮は)荒れるぞ~」と感想を述べていた。
  • あっぱれババ放談のコーナーで方言丸出しで話すおばあちゃんが出た回は、出演者が誰も理解できず全く話がかみ合わなかった。ほとんどの聴取者も理解できなかったと思われ、コーナー終了後お詫びがあった。

関係項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 出典:モーターマガジン社ラジオマガジン』1984年5月号
  2. ^ 月刊ラジオパラダイス 1990年3月号(37ページ)より。
  3. ^ a b c 出典:三才ブックスラジオ新番組速報版』(1986年春号(ラジオマニア2016(三才ブックス)p.165再掲載)、1987年春号、1987年秋号、1988年春号、1988年秋号、1989年春号、1989年秋号、1990年春号、1990年秋号、1991年春号、1991年秋号、1992年春号、1992年秋号、1993年春号、1993年秋号、1994年春号、1994年秋号、1995年春号、1995年秋号、1996年春号 各号の文化放送のページより
  4. ^ 【文化放送 番組表】1990~94年 - ウェイバックマシン(2021年10月13日アーカイブ分)
  5. ^ 【文化放送 番組表】1995~99年 - ウェイバックマシン(2021年10月13日アーカイブ分)
  6. ^ 1987年4月から1996年9月の最終回まで、伊東が『この後は、みのさんです!』と呼びかけて渡していた。
文化放送 土曜日 9:00 - 13:00枠
前番組 番組名 次番組
伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド