伊号第二四潜水艦

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艦歴
計画 第三次海軍軍備補充計画(マル3計画
起工 1938年12月5日
進水 1939年11月12日
就役 1941年10月31日
その後 1943年6月11日戦没
除籍 1943年8月1日
性能諸元
排水量 基準:2,184トン 常備:2,554トン
水中:3,561トン
全長 109.3m
全幅 9.10m
吃水 5.34m
機関 艦本式2号10型ディーゼル2基2軸
水上:14,000馬力
水中:2,000馬力
速力 水上:23.6kt
水中:8.0kt
航続距離 水上:16ktで14,000海里
水中:3ktで60海里
燃料 重油
乗員 95名[1]
兵装 40口径14cm単装砲1門
25mm機銃連装1基2挺
53cm魚雷発射管 艦首8門
九五式魚雷20本
22号電探1基
航空機 なし
備考 安全潜航深度:100m

伊号第二四潜水艦(いごうだいにじゅんよんせんすいかん)は、大日本帝国海軍伊一六型潜水艦の5番艦。

艦歴[編集]

第三次海軍補充計画(通称③計画)により建造が決定し、1938年(昭和13年)12月5日に海軍の佐世保海軍工廠で起工、1941年(昭和16年)10月31日に竣工した。

太平洋戦争開戦時には第6艦隊特別攻撃隊に所属して特殊潜航艇甲標的)をハワイ島沖まで輸送する任務を担った。本艦の搭載した艇には酒巻和男少尉及び稲垣清二等兵曹が搭乗。甲標的は爆雷を攻撃を受けて座礁したため、二名は艦を放棄した。酒巻少尉は気絶しているところを米軍によって発見され、太平洋戦争において初めての捕虜となった。翌年、ミッドウェー島に艦砲射撃を加え、オーストラリア方面で行動、特殊潜航艇によるシドニー港攻撃に特殊潜航艇の母艦として参加している。搭載の特殊潜航艇(甲標的)には伴勝久中尉、芦辺守一等兵曹が乗り組み、魚雷攻撃に成功したが帰途米巡洋艦シカゴ」によって撃沈された。伊号第二四潜水艦はシドニーに向けて艦砲射撃を行い、その後通商破壊により輸送船を3隻撃沈した。以降は南太平洋で輸送任務を行った。1943年キスカ島の撤退作戦に参加し、6月4日の状況報告を最後に消息を絶った。実際は6月11日にアッツ島沖でアメリカ海軍駆潜艇(PC487)の爆雷攻撃によって撃沈された。同年6月11日に亡失と認定され、同年8月1日、除籍となった。

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』418-419頁による。

艤装員長[編集]

  1. 花房博志 中佐:1941年7月1日 -

艦長[編集]

  1. 花房博志 中佐:1941年10月31日 - 1943年6月11日戦死

脚注[編集]

  1. ^ 乗員数は『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。

参考文献[編集]