任農夫

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任 農夫(じん のうふ、生年不詳 - 477年)は、南朝宋軍人本貫臨淮郡

経歴[編集]

軍人として身を立て、軍主となり、強弩将軍の号を受けた。泰始2年(466年)、明帝即位に対抗する反乱が各地で起こると、農夫は劉懐珍とともに義興郡で反乱鎮圧にあたった。功績により広晋県子に封じられた。東方が平定されると、農夫は張興世の下で南進して、劉胡らを討った。射声校尉に任じられ、左軍将軍の号を受けた。桂陽王劉休範江州刺史となり、反乱の兆しを見せ始めると、朝廷はその東下を憂慮して、農夫を輔師将軍・淮南郡太守に任じて、姑孰に駐屯させて防がせることとした。元徽2年(474年)、劉休範が建康に向けて進軍を始めると、農夫は駐屯地を放棄して建康に帰還した。劉休範の乱が平定されると、戦功により孱陵県侯に改封された。輔師将軍・豫州刺史として出向し、まもなく冠軍将軍の号に進んだ。元徽3年(475年)、入朝して驍騎将軍となり、通直散騎常侍の位を加えられた。元徽4年(476年)、建平王劉景素が京口で反乱を起こすと、農夫は蕭道成の下で反乱鎮圧にあたった。元徽5年(477年)、征虜将軍の号を加えられ、散騎常侍の位を受けた。この年のうちに死去した。左将軍の位を追贈された、は貞粛といった。

伝記資料[編集]